福建会館(長崎市指定有形文化財)
「福建会館」の前身は、唐人屋敷があった江戸後期で、ここに聖人堂というお堂がありました。その跡地に、明治元年(1868年)に福建省南部出身の貿易商たちの会所「八閩会館」が建設されました。その後明治30年(1897年)に建物を全面的に改築し、「福建会館」と改称しました。会館本館(会議所)は原爆により倒壊しましたが、現存する天后堂及び正門は長崎市指定文化財に指定されています。
正門は三間三戸の薬医門形式で、中国風の要素も若干含んでいますが、主要部分は和様の造りとなっています。これに対し、外壁煉瓦造りの天后堂は架構法なども純正な中国式を基調とし、一部木花や欄間は和様となっています。
福建会館天后堂には、媽祖さまがお祀りされています。中央の2体の女性が媽祖さまです。媽祖さまは、天后聖母、天妃、協天上帝とも呼ばれる、航海安全の神様です。
媽祖さまの両隣には、上段に侍婢、下段に千里眼、順風耳が従います。千里眼は千里(4000km)先まで見通せ、順風耳は、千里先まで耳が聞こえると云われています。
福建会館は、大正2年(1913年)には、孫文が華僑主催の歓迎午餐会に足を運び、県知事らと集合写真を撮った場所でもあります。
福建会館天后堂の前には、「孫中山銅像」と書かれた孫文像が立っています。「中国革命の父」と呼ばれる孫文は、中国語圏では孫中山という名称が一般的に知られています。
最終訪問日:2026.02.18.
アクセス
| 名称 | 福建会館 |
| 住所 | 長崎県長崎市館内町11-4 |
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