高島
「高島」は、長崎港の南西約14.5キロメートルの洋上に浮かぶ離島です。近隣に浮かぶ、端島(軍艦島)、中ノ島、飛島と合わせて4つの島で高島町を形成しており、その4つの島のうち、有人島は高島だけです。
高島では江戸時代初期から石炭の採掘が始まっており、明治時代初期に英国商人トーマス・グラバーと佐賀藩によって高島炭鉱は本格的な近代炭鉱として開発されました。その後1881年(明治14年)に三菱社の岩崎彌太郎へ譲渡されると、三菱は次々に坑区を開坑・買収するなどして規模を拡大して行きました。
1884年(明治17年)には中ノ島にある中ノ島炭鉱を取得し、1890年(明治23年)には端島にある端島炭鉱を買収、三菱経営の炭鉱が全盛期を迎えました。
1965年(昭和40年)ごろには従業員約3,000人、年間出炭量約127万tに達しましたが、その後は出炭量が減り、1985年(昭和60年)頃には年間出炭量約65万tに低落しました。同年の坑内事故、生産調整等により1986年(昭和61年)11月27日をもって高島炭鉱は閉山されました。
閉山後は磯釣り公園の整備等を行い観光開発を模索しているほか、トマトのハウス栽培が盛んになっています。
また、2015年の 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」 の登録に伴って、高島炭鉱と端島炭鉱はその構成資産のひとつとされました。
今回は軍艦島クルーズのコースのひとつとして訪れたので、 『高島石炭資料館』 のみの見学です。
高島石炭資料館
高島石炭資料館の建物の前には、軍艦島(端島)の模型があり、軍艦島クルーズのガイドさんは、模型を使って軍艦島の説明をして下さいました。
高島石炭資料館には、高島炭鉱がかつて操業していた頃に、坑内・坑外で使用していた人車(トロッコ)・炭車・採炭機械などが展示されています。
高島炭鉱は、古くは江戸時代から採炭が行われており、明治元年には佐賀藩と英国人商人グラバーによって 国内初の立坑である北渓井坑(ほっけいせいこう)が開坑されました。
その後、三菱の経営となり、次々と規模を拡大して行きました。 また、今では高島炭鉱より知名度の高い『軍艦島(端島)』は、高島炭鉱の優良坑の一つでした。
1966年(昭和41年)頃に採掘量はピークを迎えますが、石炭から石油へのエネルギー転換のあおりを受け採掘が減少し、1986年(昭和61年)に閉山しました。
最終訪問日:2019.04.15.
高島石炭資料館 アクセス
名称 | 高島石炭資料館 |
住所 | 長崎県長崎市高島町2706-8 |
TEL | 095-896-3110 |
URL |
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