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浦上天主堂(カトリック浦上教会)

浦上天主堂(カトリック浦上教会)

カトリック浦上教会は、長崎の観光名所のひとつとなっており、一般的に「浦上天主堂」の名で知られています。
浦上はキリスト教の日本伝来よりカトリック信者の多い土地でした。明治になり禁教令が解かれた後、1879年(明治12年)に小聖堂を築いたのが浦上教会の始まりです。その後1895年(明治28年)から19年に及ぶ歳月をかけて、大聖堂を建築しました。
ロマネスク様式の建物は竣工当時は東洋一と言われていましたが、1945年(昭和20年)の原爆投下により全壊しました。 その日天主堂に来ていた信徒は全員が亡くなっています。
1959年(昭和34年)、現在の天主堂が旧天主堂の廃墟跡に旧天主堂の外観を模して新築されました。

浦上天主堂

現在、天主堂前には、原爆で破壊されたり焦げたりした、当時のままの聖人像が並んでいます。信徒会館・売店ピエタのロビーにも、原爆によって倒壊した遺構などが展示されています。
また、被爆した天主堂の遺構の一部は近隣の平和公園に移設されています。

右手側の入口
平和の聖母
浦上天主堂 (1)
信仰乃碑
浦上天主堂の歴史と由来
拷問石
被爆後の天主堂(銘板より)
被爆マリア像(銘板より)
浦上天主堂正面上部
被爆した天使像
被爆した天使像
天主堂入口の悲しみの聖母像
ヨハネ・パウロ2世像
天主堂入口の使徒聖ヨハネ像

最終訪問日:2019.04.14.

信徒会館・売店ピエタ

浦上天主堂の右手前に、「信徒会館・売店ピエタ」があります。 この中のロビーにも、被爆した数々の遺構が展示されています。

信徒会館・売店ピエタと、正面のマリア像
信徒会館・売店ピエタ前から見た浦上天主堂
浦上天主堂 (6)
無原罪の聖母と青銅のキリスト
聖体顕示器(オステンソリウム)
被爆前の浦上天主堂の写真
浦上天主堂 (7)
キリスト架刑像
破壊された長崎の鐘

長崎の鐘
1926(大正14)年に完成した浦上天主堂の鐘楼に吊るされたフランス製の大小2個のアンゼラスの鐘は、1945(昭和20)年8月9日の原爆によって、小さい方は壊れてしまいましたが、大きい方はほとんど完全な状態で瓦礫の中から見出され、原爆投下の年のクリスマス・イブに、三本の杉丸太を組み立てた急造の鐘楼に吊るされ、荒野と化した浦上の丘に鳴り響き、信徒をはじめ多くの市民を力づけました。
永井隆博士が『新しき朝の光のさしそむる 荒野に響け 長崎の鐘』とうたい以降、浦上天主堂の アンゼラスの鐘は「長崎の鐘」と呼ばれるようになり、今も朝・昼・夜“天使のお告げ”を鳴り響かせています。

聖体奉置の燈明台
教会廃壁の一部と聖人の頭
浦上天主堂 (4) 旧浦上天主堂模型
被爆前の旧浦上天主堂の模型
浦上天主堂 (5) 売店ピエタ
売店ピエタ

天主堂の鐘楼(アンジェラスの鐘)

浦上天主堂の左横に、原爆によって吹き飛ばされた旧天主堂の鐘楼の一部が、当時のまま保存されています。1945年8月9日の被爆時のままに保存されている、唯一の旧天主堂本体の遺構です。

旧浦上天主堂の鐘楼には、大小2つのアンジェラスの鐘が下げられていました。原爆によって吹き飛ばされたアンジェラスの鐘は、大きい方はほとんど完全な状態で瓦礫の中から見出され、現在もその音色を響かせています。

北側のアンジェラスの鐘は、現在の位置まで吹き飛ばされました。この鐘楼は重さが約50トンもあり、動かすのは容易ではありませんでした。そのままこの位置に残され、戦争遺跡として原爆の悲惨さを現在に伝えています。
国指定史跡として、長崎原爆遺跡にも指定されています。

アンジェラスの鐘

浦上天主堂旧鐘楼
1867年に始まった浦上四番崩れと呼ばれる大弾圧により全国に流刑にされた浦上のカトリック信者は、1873年に解放されたのち、聖堂の建設を計画しました。
1895年にフレノ神父の指導のもと起工した浦上天主堂は、貧しいながらも農作物を売って得た資金や、外国人からの寄付などを受け、石材や煉瓦を買い、信者の労働奉仕で運搬・建築され、起工から19年 もの歳月を経た1914年に完成しました。当初の天主堂には鐘楼がなかったため、当時の主任司祭のヒューゼ神父の計画のもと1925年に双塔が完成しました。
しかし、1945年8月9日原爆により天主堂は破壊され、北側の鐘楼は現在の位置まで崩れ落ちました。1959年に浦上天主堂は再建され、この鐘楼は原爆により破壊された旧浦上天主堂の被害を、当時と同じ 場所で物語る唯一の遺構となりました。

浦上天主堂のアンジェラスの鐘(銘板より)

原爆により崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼
爆心地より北東へ約500メートルの小高い丘の上に建つこの赤レンガ造りの浦上天主堂は、原爆により崩壊したが、被災前の天主堂は浦上の地に暮らしていたカトリック信者たちが、1895年(明治28年)から赤レンガを一枚ずつ積み上げて30年の歳月をかけて建てた、当時としては東洋一の偉容を誇る大聖堂であった。
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分。原子爆弾のさく裂により、天主堂はほとんどが破壊され、その後かろうじて残っていた堂壁や鐘楼も崩れ落ち、一部の堂壁だけが残った。崩れ落ちた鐘楼の一つ(重量約50トン)が現在もこの地に原爆被害の跡をとどめて眠っている。
爆心地に程近い当地区は、17世紀初頭に始まるキリシタン禁令の時代からカトリック信徒の多いところであり、原子爆弾はこのカトリック信徒の聖地にさく裂し、約12,000名の信徒のうち約8,500名が犠牲となった。長崎市はこの地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを 願って、この銘板を設置する。

浦上天主堂(カトリック浦上教会) アクセス

 名称 浦上天主堂(カトリック浦上教会) 
 住所 長崎県長崎市本尾町1-79
 TEL 095-844-1777 
 URL    

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