中ノ島
長崎市高島町は4つの島、高島、飛島、中ノ島、端島(軍艦島)から形成されています。このうち高島のみが現在も有人の島で、面積は4つの島の中で最大の1.24km2です。飛島は面積0.01km2ととても小さく、また高島と防波堤で繋がっています。
知名度が一番高いのが、端島(軍艦島)で、面積は0.1km2です。そして、高島と端島(軍艦島)の間にある島が、中ノ島で、面積は0.01km2です。
中ノ島には、高島や端島(軍艦島)と同じく炭鉱がありましたが、ほんの14年という短命で終わっています。
1879年(明治12年)に中ノ島で炭鉱開発が始まり、1884年(明治17年)に三菱社が買収し本格的に操業、竪坑が2本掘削されたのですが、 中ノ島炭鉱は坑道での出水が多かったことから採掘が困難となり、1893年(明治26年)には操業を停止しました。
中ノ島炭鉱の閉山後は、端島(軍艦島)を補うための島として機能して行きました。主に端島にないものが整備されていったのです。
石炭採掘が盛んな当時の端島には、学校や病院、商店のほか、映画館やパチンコなどの娯楽施設など、生活に必要な施設は一通り揃っていました。しかし、僅かながら不足している物があったのです。それは、緑豊かな公園と、「死」に関わる施設、火葬場と墓地(納骨堂) でした。
軍艦島の人口は、最盛期の1960年(昭和35年)には5,267人の人口がおり、人口密度は83600人/km2と世界一を誇る程だったので、公園を造るスペースなんてなかったでしょう。
中ノ島の炭鉱が閉山した後には、桜が移植され、お花見も出来る様に整備されたり、海洋レジャーの場としても利用されました。後に中ノ島に緑化公園が造られる事になり、1962年(昭和37年)に造園が開始され、遊歩道・展望台・遊具を設置した中ノ島水上公園が完成しました。超人口過密状態にあった端島の住人たちの憩いの場として利用されていたのです。
また 端島には火葬場と墓地がない事から、中ノ島に火葬場と墓地(納骨堂)が造られました。端島で亡くなられた方々が、中ノ島の火葬場で火葬され、郷里のある方はそちらに帰られたと思いますが、無縁仏となられた方は、ここ中ノ島に埋葬されたそうです。
最終訪問日:2019.04.15.
中ノ島 アクセス
名称 | 中ノ島 |
住所 | 長崎県長崎市高島町 |
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