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出島和蘭商館跡(国指定史跡)

出島和蘭商館跡(国指定史跡)

「出島和蘭商館跡」は、19世紀初頭の出島を復元しており、国指定史跡となっています。
出島は、キリスト教の布教を阻止するため、長崎市内のポルトガル人を収容する目的で、寛永13年(1636)に築造された人口の島です。出島に収容されたポルトガル人ですが、翌年の島原の乱によって江戸幕府からの警戒が増し、寛永16年(1639年)には国外追放され、ポルトガル船の渡航は禁止されました。
わずか3年で無人島となった出島ですが、寛永18年(1641年)には平戸からオランダ商館が移転され、それ以降、安政の開国までの約218年間、日本で唯一西ヨーロッパに開かれた窓として、日本の近代化に大きな役割を果たすこととなりました。

出島橋付近から、出島を見る
長崎市電「出島」電停から近い、西側入口 かつての「水門」を復元している

現在では周囲の埋め立てが進み、突き出した島という感じはしませんが、江戸時代当時は海の中に扇状に突き出した人口島で、陸地(長崎市街)と繋がっているのは1本の出島橋のみでした。出島橋を渡ったところには表門があり、常に役人たちが厳重に警備していました。
出島和蘭商館跡への入場は、「出島表門橋」をメインゲートとし、西側入口に長崎市電出島電停から近い「水門」ゲートです。東側入口は工事の為閉鎖中でした。

水門

出島の西側に設けられたこの「水門」は、かつて海に面しており、輸出入品の通り口でした。水門の南側口が搬入用、北側口が搬出用に使われました。

出島の西側にあった「荷揚場」の石垣
築造当初の石垣
水門
水門(出島敷地内から)

一番船船頭部屋

オランダ船が停泊している間、一番船船長とオランダ商館事務官が居住しました。船員は船で生活しました。
一階は倉庫として、二階が居住空間として使われていました。

一階は倉庫として使われた
一番船船長の部屋を再現
オランダ商館員の部屋を再現

ヘトル部屋

ヘトルとは、次席商館長の呼称です。二階がその住まいで、他に日本人の使用人も使用していました。一階は東南アジアの人々が使用し、食料の貯蔵にも使われました。内部の分かる資料がないため、外観のみ再現しています。
一階は「出島ミュージアムショップ」です。

ヘトル部屋
一階は「出島ミュージアムショップ」
左側が「一番船船頭部屋」、右側が「ヘトル部屋」 ヘトル部屋の1階は出島ミュージアムショップ
一番蔵と二番蔵 二番蔵は表からは入れないが、二番蔵・三番蔵を通って裏手から入ることができる

一番蔵

絵図には「砂糖蔵」と記され、輸入品である砂糖が収められていました。オランダ人は倉庫を花の名前で呼び、この倉は「バラ」蔵と呼ばれていました。

一番蔵

二番蔵

二番蔵は表からは入れませんが、一番蔵、三番蔵を通って裏手から二番蔵へ入ることができます。
資料によっては砂糖蔵や蘇木そぼく蔵などと書かれ、輸入品用の蔵でした。蘇木は輸入品で染料に用いる植物の枝です。オランダ人からは「チューリップ」蔵と呼ばれていました。

二番蔵

三番蔵

主に輸入した砂糖を収めたほか、個人商売用の脇荷の収納に使われました。ピンクのカーネーションを指す「アニェリール」という名前が付けられていました。

三番蔵

カピタン部屋

カピタン部屋は非常に大きな建築物で、カピタン(商館長)の住まいであり、商館事務所や接待場としての機能を持ち、出島を代表する建物でした。1階は食糧庫や物品の倉庫で、2階が居住スペースとして使われました。

カピタン部屋
1階は倉庫として使われた
1階の展示
2階は住居スペースとして使われた 当時の暮らしを再現展示している
17.5畳の部屋
15畳の部屋
大広間

乙名部屋

出島乙名おとなは、奉行から選任された長崎の有力町人で、長崎の出島管理の実務を一手に担いました。貿易事務一切を行い、商館員の監視役も担いました。
この建物は、乙名の居住、金庫番役人の仕事場、見張り役人の詰所を兼ねていました。

左の建物が乙名部屋

料理部屋

出島の商館員たちは、カピタン部屋に昼夕2回集まって、皆で食事をとりました。そのための調理場で、オランダ人が費用を負担して建てた数少ない建物の一つです。オランダ人・東南アジア人・日本人の使用人が調理をしました。

料理部屋

排礼筆者蘭人部屋

帳簿など筆記を行うオランダ人書記長が居住していた建物です。
内部は蘭学館となっており、オランダを通じて日本に入ってきた学術・文化・技術である「蘭学」を紹介しています。

拝礼筆者蘭人部屋
内部は蘭学について紹介する

十六番蔵

十六番蔵には輸入品の丁子が保管されていました。丁子の原料はインドネシア・モルッカ諸島原産の植物のつぼみで、香辛料や薬の原料になりました。
十六番蔵の右手には、火災に備えた用地池と、時刻をつげる時櫓があります。

十六番蔵と時櫓
筆者蘭人部屋の前にある、居留地時代の地番境石

筆者蘭人部屋

オランダ商館員の居住で、建物内部は長屋のように4区画に分かれ、数人の筆者(書記役)達が居住していました。2階の手すりは、当時のオランダでよく使われた緑色の塗料が使われ、窓はガラス窓になっています。
建物内部の資料が少なかったため、内部は展示室として使われています。

筆者蘭人部屋
左の石造り建造物が旧石倉 右手前の建物が乙名詰所
左から 十四番蔵、筆者蘭人部屋、十六番蔵、カピタン部屋

新石倉

慶応元年(1865年)に建てられた石造倉庫で、昭和42年(1967年)に長崎市が買い上げ、昭和51年(1976年)に復元したものです。
出島の歴史を伝えるシアターと、出島総合案内所として利用されています。

新石倉
乙名詰所

乙名詰所 / 十四番蔵

乙名詰所は、出島の管理を行う長崎の地役人「出島乙名」が貿易の行われない冬から春にかけて仕事をした詰所です。ここは出島表門の正面に当たり、通行する人々を監視も行っていました。
十四番蔵には、輸入品の砂糖が保管されていました。寛政10年(1798年)の火事の後に建てられた土蔵で、オランダ商館員は「再生」という名で呼んでいました。

乙名詰所
十四番蔵の展示

組頭部屋 / 銅蔵

銅蔵の1階に、輸出用の棹銅が保管され、2階には輸入品の鮫皮が収められていました。銅蔵の前には、蔵の周りを囲むように一体的に組頭部屋が創られました。
組頭部屋の組頭は、地役人の乙名を補佐する役目の人です。1階では日蘭双方の立ち合いのもと、棹銅を箱から取り出し再計量して確認する作業を行っていました。

組頭部屋
銅蔵

旧石倉(考古館)

安政の開国後に建てられた石造倉庫の西側半分を、古写真などをもとに昭和31年(1956年)に復元したものです。当時はこの一帯に石造倉庫が立ち並んでいました。この石倉は、居留地時代にはハルトマンス・ベシエ商会、クニッフレル商会が所有しました。

旧石倉(考古館)
カピタン部屋の発掘調査中に出土したピストルと銃弾
旧石倉(考古館)1階
旧石倉(考古館)2階
出島から出土した西洋陶器の欠片
阿蘭陀渡りのガラス

旧長崎内外クラブ

旧長崎内外クラブは、明治32年(1899年)にトーマス・グラバーの息子・倉場富三郎らによって、長崎に在留する外国人と日本人の社交の場として設立されました。現在の建物は、明治36年(1903年)にF・リンガーによって建てられた英国式明治洋風建築です。
現在は1階はレストラン、2階は居留地時代の展示を行っています。

旧長崎内外クラブ
長崎内外倶楽部会員名札入れ

長崎内外倶楽部会員名刺入れには、「倉場富三郎」や旧長崎県知事、旧長崎市長らの名刺が並ぶ

最前列中央に倉場富三郎氏

旧出島神学校

旧出島神学校は、明治11年に建設された現存するわが国最古のキリスト教新教(プロテスタント)の神学校です。訪問時は整備中のため、内部の見学はできませんでした。

旧出島神学校

ミニ出島

ミニ出島は、昭和51年(1976年)に制作された15分の1の模型です。ミニ出島の入口は陶製の門柱で、その周囲には、シーボルト里帰り植物や、幾つかのモニュメントがあります。

ミニ出島入口となる陶製の門柱
居留地時代の地番境石
オランダと言えば、ミッフィー
ミニ出島
日本とポルトガルの交流に尽力した6人をモニュメントに
オランダ石門
シーボルトの木

最終訪問日:2026.02.19.

出島和蘭商館跡 アクセス

 名称 出島和蘭商館跡
 住所 長崎県長崎市出島町6番1号
 TEL 095-821-7200
 URL   https://nagasakidejima.jp/

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