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瀧廉太郎記念館(瀧廉太郎旧宅)

瀧廉太郎記念館(瀧廉太郎旧宅)

瀧廉太郎が12歳から14歳までの少年期を過ごした寺町の旧宅の一部を「瀧廉太郎記念館」として整備したものです。館内には手紙や写真、直筆の譜面などが展示されています。

瀧廉太郎(1879~1903年)は、『荒城の月』『箱根八里』『花』などの作曲で知られる音楽家です。東京で生まれますが、父親が地方官でしたので、転勤で横浜、富山、東京、大分、竹田と転居しました。瀧家は日出藩(現大分県日出町)の家老を代々務めた上級武士で、父親は上京し、大久保利通・伊藤博文の元で働いたのち、地方官となりました。

瀧廉太郎記念館(瀧廉太郎旧宅)入口

竹田では、父が直入郡の郡長でしたので、この武家屋敷が郡長官舎となり、旧岡藩の藩校由学館跡に建てられた高等小学校に転校しました。
この武家屋敷は、岡藩藩主中川家の家臣をつとめた岩瀬家の屋敷で、当時は300坪近い大きな侍屋敷でした。

現在公開されているのは、2つの建物と、庭です。門に近い屋敷には、手紙や写真、譜面などが展示されています。屋敷から、下駄をお借りして、中庭を通り、離れの蔵に入れば、2階には廉太郎の部屋が公開されています。庭には、馬小屋として使われた、凝灰岩をくりぬいた洞窟や、廉太郎も使ったであろう井戸があります。

瀧廉太郎と竹田

瀧廉太郎は、明治12年8月24日、東京市芝区南佐久間町2丁目18番地で生まれました。父は官庁に勤めていましたので、父の転任といっしょに横浜、富山、東京、大分、竹田と転居しました。竹田には、明治25年1月、直入郡高等小学校第二学年に転入し、5月には第三学年に進級しています。当時、瀧廉太郎は12歳でした。彼の家は、父が直入郡の郡長でしたので、武家屋敷が郡長官舎となり、広い敷地に重厚な門と土塀がめぐらされていました。廉太郎の部屋は、奥の六畳の間で、ここから約1kmの小学校に通学しています。
竹田時代は、廉太郎にとって多感な少年期でした。学校の裏にある岡城址の探検や音楽など、良く学び、良く遊び、23歳10ヵ月の生涯の中で、一番好きな町となりました。このことは、後年「かっけ」という病気で苦しんだ時、先生や親戚、友人が居る竹田で療養していることからもわかります。高等科時代の廉太郎は、音楽や絵が得意で、同窓の朝倉文夫の碑文にもあるように、許されて学校の式場にあるオルガンを弾いたのも彼でしたし、当時の絵からも非凡な才能を感じさせます。また、廉太郎が18歳頃の作品で『古城』という詩があります。この詩は岡城址を詠んだもので、
「外塀は田にすきかへされ 内堀は年毎にあせて 二百年の名残りやなに 水草いる辺に槁杭朽ちて
野菊咲くかげ石ずえ残る 一の木戸か 二の木戸か あなあはれ」
と、詩情豊かに岡城を表現しています。
この休憩所の下は、昔は溝川と呼ばれる小さな川があり、竹田の七不思議の一つ「溝川のおさん」が棲んでいるといわれました。廉太郎の妹、安部トミさんの話にも、いたずらをすると「おさん」が出るよ、と母から叱られ、兄と共に、ほんとうにこわかったと話しています。また、『荒城の月』は、兄が竹田の岡城を思い作曲したとも話されており、竹田は、瀧廉太郎の心のふるさとであり、少年期の楽しい思い出がたくさんある、いこいの町であったようです。

廉太郎の横顔のレリーフ
聖ヤコブ病院(廉太郎が結核で入院した病院)のレンガ
譜面や眼鏡
ヴァイオリンは、小澤僖久二氏の作品
下駄を借りて、離れの蔵も見学しよう
「洞穴の馬小屋」と、井戸
尺八を吹く廉太郎像
離れの蔵
2階は廉太郎の部屋

廉太郎旧宅

瀧廉太郎が12歳から14歳までの2年半、多感な少年時代を過ごしたのがこの家です。
瀧家は代々日出藩(現在の大分県速見郡日出町)の家老をつとめた名門で、廉太郎の父-吉弘は同藩の家老をつとめた後、上京し、大久保利通・伊藤博文の右腕として中央で活躍した人でした。
明治24年、父-吉弘は大分県直入郡長に任命され、12月の半ば、廉太郎は家族とともに竹田に移りました。その折、瀧一家に官舎としてあてがわれたのがこの家でした。この家は、もともと岡藩藩主中川家の家臣をつとめた岩瀬家の由緒ある屋敷で、当時は300坪近い大きな侍屋敷でした。
当時の竹田は、岡藩の城下町、九州の小京都として、しっとりとした風情をたたえた、文化の香り高い町でした。「遊芸の町」とも言われ、茶道、華道はもちろん、多くの人が謡曲、仕舞、三味線、琴などをたしなんでいました。廉太郎は竹田高等小学校に通いながら、城下町のさまざまな響きや風景、地域の素晴らしい自然に囲まれ、この竹田の町で音楽の道に進むことを決心したのです。
家の前の溝川や浦山の竹藪の響きを聞き、芝居や謡曲の好きだった父親、ヴァイオリンをたしなんだ姉たちのいる家族と暮らしたこの家は、廉太郎の感受性を豊かに育て、後に数々の素晴らしい音楽をつくりだす源の一つとなりました。
この旧宅では、廉太郎が聞いていたと思われる、当時の家や庭の音、竹田の町の響きを復元するいくつかの工夫をしています。

最終訪問日:2024.04.03.

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瀧廉太郎記念館(瀧廉太郎旧宅) アクセス

 名称 瀧廉太郎記念館 
 住所 大分県竹田市大字竹田2120番地1  
 TEL 0974-63-0559 
 URL    

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