袋町小学校平和資料館
袋町小学校 は、昭和20年(1945年)8月6日の原子爆弾投下により、爆心地より約460mの位置で甚大な被害を受けました。
当時、多くの児童は疎開していましたが、残っていた児童と教職員160名の殆どが一瞬で命を奪われました。木造校舎は全て全壊・全焼しましたが、昭和12年(1937年)に落成した西校舎のみは、鉄筋コンクリートであったため、外郭のみ原型を留めていました。
被災翌日から、救護所や避難場所として使われ、また人々の安否を尋ねる場ともなり、その「伝言」が壁面に多数記され、現在も残っています。
現在は、被爆に耐え残った西校舎の一部を「袋町小学校平和資料館」として保存し、残された貴重な被爆資料を展示しています。
袋町小学校の敷地の一角ではありますが、道路に面しており、現在の学校の入口は通らず、別に独立して建っています。利用時間内なら出入りは自由で、ボランティアの係員さんが常駐しておられます。
入口を入ると、原子雲のパネルが。これによって、一瞬にして人々の命が奪われました。
ここ袋町小学校でも、朝礼を終えたばかりの教職員・児童ら約160人が被爆し、生き残ったのは数名でした。人数が少ないのは、多くの児童が疎開していたからです。
そして被爆から約10ヵ月後には、全児童37名で授業が再開されしまた。
かろうじて倒壊を免れたこの西校舎の建物には、窓もなく、焼け残った板に墨を塗って黒板としました。
袋町国民学校(爆心地から約460m)
1945(昭和20年)8月6日午前8時15分、原子爆弾により木造校舎は全壊全焼し、鉄筋コンクリート3階建の西校舎は外形のみを残して焼失しました。ここでは、学童疎開をしないで登校していた児童と教職員約160人が朝礼直後に被爆し、ほとんどが犠牲になりました。被爆後、西校舎は救護所となり、階段室の壁面には被爆者の消息を知らせる多くの伝言が残されました。
袋町小学校に残された「伝言」は、煤(すす)が付いた壁にチョークで書かれたものです。その後、漆喰が塗られたため、チョークや煤は漆喰に吸収されましたが、チョークの下にあった煤が文字として残っていました。
階段横に展示してあるものは、昭和20年(1945年)に撮影された写真を基にしたレプリカです。
平成11年(1999年)の工事の際に、漆喰の一部をはがしたところ、「寮内」という文字が出てきたことから、この漆喰の下に、未だに伝言が残っている事が分かりました。レプリカの真ん中辺りに、漆喰が剥がされた跡が見えるようになっています。
最終訪問日:2024.06.13.
袋町小学校平和資料館 アクセス
名称 | 袋町小学校平和資料館 |
住所 | 広島県広島市中区袋町3-36 |
TEL | 082-541-5345 |
URL | http://www.fukuromachi-e.edu.city.hiroshima.jp/shiryoukan-index.htm |
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