本妙寺
本妙寺は、日蓮宗の寺院で、山号は発星山。熊本市内を見渡す場所にある加藤清正公の菩提寺で、石段を上った場所に「浄池廟(じょうちびょう)」と呼ばれる清正公の廟所があります。裏山には高さ9mの清正公の銅像が立っています。
年中行事である「頓写会(とんしゃえ)」(7月23日夜)は終夜参拝人で賑わいます。
『本妙寺』 は、天正13年(1585年)、加藤清正公が父・清忠公の菩提寺として大阪に建立したのが始まりです。天正16年に清正公が熊本城内に移し、元和2年(1616年)に浄池廟守護の為、熊本城内から現在地に移建されました。
『浄池廟(じょうちびょう)』 は、慶長18年(1611年)6月24日に熊本城内で亡くなった清正公の遺言により、この地に清正公の墓所として建立されました。正面に清正公の木像を安置しており、その真下に清正公が葬られています。この浄池廟の建物全体が清正公のお墓です。
浄池廟の高さは、熊本城天守閣最上階の高さと同じと言われています。
参道入り口にある巨大な総門「仁王門」は、大正時代の1919年(翌年完成)に造られました。当時では珍しい鉄筋コンクリート製で高さ約20m、幅約14m、頭上には仁王像と獅子像が収められています。 (写真なし)
仁王門から長い参道が延びており、「常住院」「智運院」「静明院」「龍渕院」「妙心院」「仙乗院」「東光院」「延寿院」「本地院」「雲晴院」「本院」「大本堂」 が並んでいます。
大本堂に向かい合わせに建つのは「法皇閣(本妙寺釈迦堂)」です。 法皇堂ではお釈迦様の誕生日である4月8日に花まつりが行われます。
法皇閣(本妙寺釈迦堂)、大本堂の前から浄池廟へと続く急な石段は176段あり、「胸突雁木(むなつきがんぎ)」と呼ばれ、左右の石段の中央には信者から寄進された多数の石灯籠が並んでいます。
胸突雁木の途中には、加藤忠広(忠廣)公一族の墓所「六喜廟」があります。 六喜廟内には巨人軍・吉原正喜選手のお墓もあります。
加藤忠広公は清正公の三男で、2人の兄が早世した為、父・清正公の死後若干11歳にして熊本藩主を継ぎました。
胸突雁木を上りきった所、右側に「常夜燈跡」が、左側に「御宿廣嶋屋(ひろしまや)」(写真なし)があります。
「常夜燈跡」の石垣は加藤忠広公によって建立された浄池廟常夜燈の跡と伝えられています。清正公の後を継いだ忠広公は、この明りを頼りに熊本城から朝夜御父君の御廟所を拝礼されたと云います。その常夜燈もいつしか石垣を残すのみとなり、現在の常夜燈は昭和49年に再建された物です。
浄池廟(じょうちびょう)
胸突雁木を上りつめると、加藤清正公の墓所「浄池廟(じょうちびょう)」 です。この中門をくぐると正面には「浄池廟拝殿」があり、更にその奥に「浄池廟本殿」があります。
浄池廟拝殿の右横には「宝物館」があり、清正公・秀吉公・細川氏寄進の宝物や日蓮宗及び本妙寺関係の什物などを保存、展示しています。
清正公の銅像
「浄池廟(じょうちびょう)」の裏から更に300段の石段を上ると、中尾山(本妙寺山)の八合目に加藤清正公の銅像が建っています。
最初に清正公の銅像が建立されたのは、昭和10年(1935年)の清正公の没後325年忌に作られました。高さ8.2mの銅像で、浄池廟の裏手から銅像までの石段も、25段区切りで300段作られました。
昭和19年4月の戦争末期の金属供出により撤去されましたが、昭和35年4月に再建され、今日に至っています。
最終訪問日:2011.01.16.
本妙寺 アクセス
名称 | 本妙寺 |
住所 | 熊本県熊本市西区花園4丁目13−1 |
TEL | 096-354-1411 |
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