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糸島ウォーキング〖古代伊都国跡を巡る編 ① 平原遺跡/石ヶ崎支石墓/端山古墳/築山古墳〗

糸島市観光協会の〖糸島を歩いて巡る とこてく糸島〗というウォーキングガイドを参考に、糸島市をウォーキング👟
伊都国歴史博物館から平原歴史公園を巡るコース 古代伊都国跡を巡る編〗 (約7.7km)を歩いてみました。

駐車場が24時間開放している「平原歴史公園」を起点に、コースを巡ることにしました。
糸島の有名な直売所「伊都彩々」より山手の方です。

平原遺跡

弥生時代の後期から終末期(2世紀頃)の墳丘墓で、日本最大の銅鏡をはじめ、豪華な副葬品が出土しました。
ネックレスなどのアクセサリーが多いことから、墓の主は女性、即ち女王の墓と考えられています。
出土品は全て国宝に指定されています。

🔗「平原遺跡/平原歴史公園」のページへ

下の古墳は、平原遺跡1号墓。14m×12mの四隅が丸い長方形でその中央に木棺が埋葬されていました。

右手に写る古墳が、平原遺跡1号墓

平原遺跡1号墓は弥生時代末期の物で、14m✕10.5m(12mの記載も)の長方形状の平面形で、約1.5m~3.0mの周溝で区画し、排水溝を持った墓です。

主体部である広さ4.5m✕3.5mの墓壙中央には、長さ3.0m、幅0.7m~0.9mの割竹形の木棺1基が納められていました。
棺の内外から銅鏡40面、ガラス勾玉3点・管玉30点以上・連玉886点・丸玉約500点・小玉482点、メノウ管玉12点、ガラス耳璫2点、水銀朱、鉄製素環頭大刀1本などが出土しました。

特に直径46.5cmの古代で世界最大の超大型内行花文鏡5面を含む銅鏡などの豊富な副葬品から、1号墓は巫女的な性格をもった伊都国の女王墓と推定されています。

この周囲に5基の墳丘墓が発見されたのですが、この1号墓のみが復元管理され、周囲を歴史公園に整備しています。

平原遺跡1号墓

少しだけ高台なので、振り返ると良い景色。お天気も良く、開放感と古墳の緑色が癒しを与えてくれます。

平原歴史公園から県道565号へと下り、前原東中学校前へ。

石ヶ崎支石墓

前原東中学校向かいの農道に、「石ヶ崎支石墓」への案内表示があります。
農道正面に見えるこんもりとした丘が、石ヶ崎支石墓です。案内板はありますが、現在は見学困難(というか不可能??)です。

前原東中学校正門の向かい側の農道に、案内表示がある

石ヶ崎支石墓
この丘には1949年(昭和24年)に原田大六氏らが発見、発掘調査を行った弥生時代の墳墓遺跡(石ヶ崎遺跡)がある。
遺跡の中で最も注目されたのは、墓群の最高所で発見された弥生時代前期(2300年ほど前)の支石墓である。
支石墓とは、墓壙の上に数個の支石を配し、その上に自然石をのせて標石とした墓であるが、石ヶ崎支石墓の上石は差し渡し3mほどの花崗岩の板石を置いた大型支石墓であった。
地下の埋葬施設は組合せ式木棺と考えられる。棺内から12個の碧玉製管玉が出土し、現在、東京国立博物館が所有する。副葬品が納められた、わが国でも数少ない支石墓のひとつである。
わが国の支石墓研究の先駆けとなるとともに、伊都国に弥生時代の早い段階で有力者が出現したことを示す遺跡としても貴重である。

石ヶ崎支石墓からひたすら道なりに住宅地の中を進みます。高台に小さな天満宮がありました。地域の守り神様でしょうか??

糸島市三雲の天満宮
糸島市三雲の天満宮

こちらの天満宮を過ぎて左折。瑞梅寺川とぶつかるまで歩きます。
ここから見えるのは、雷山でしょうか、背振山でしょうか。
瑞梅寺川を渡って更に進みます。

端山古墳

田園風景広がる田畑の中に、ポツリと小さな小山が見えてきました。これが「端山(はやま)古墳」です。
まるで頭から薄毛というか、産毛が生えている様に、小山の上に木が生えています。
今の姿からは良く分からないのですが、前方後円墳なのだそう。説明書きによると、現在残っているのは後円部だけなのだとか。だから分からないのね。

端山古墳

端山古墳は、糸島市三雲にある古墳で、古墳時代前期(4世紀初め頃)に築かれたと考えられています。
端山古墳の南100メートルの所に、同じく前方後円墳の「築山古墳」がありますが、端山古墳の方が先に築かれたと考えられています。

端山古墳
中国の歴史書『魏志倭人伝』に記された「伊都国」の中心部に築かれた前方後円墳です。前方部は北を向きますが、破壊されて現在は後円墳のみが残っています。
1974年(昭和49年)に行われた調査によって、前方部基部の石列が検出され、先端部が横に突出していたことが確認されました。墳丘の規模は、全長78.5m、後円部の直径約42m・高さ8m、前方部の長さ約38m・幅約23mです。前方部は二段築盛、後円部は三段築盛で、斜面には葺石が施され、周囲には盾形の周濠が廻っていました。周濠を含む全長は約99mです。
主体部は未調査ですが、周辺から出土した土器から、この古墳は4世紀はじめごろに築かれたと考えられ、この古墳の南にある築山古墳よりも先に築かれたと考えられています。また、古い記録には、付近に「茶臼塚」と呼ばれる古墳が存在したことが記されていますが、その位置は確認されていません。
この古墳に葬られた人は、弥生時代の「伊都国」の王に代わってこの地域を支配した、大和政権と深いつながりをもつ豪族であったと考えられています。

築山古墳

続いて、すぐ側にある「築山(つきやま)古墳」へ。端山古墳を右手に見ながら道なりに進むと、見えます。
古墳の上にお社があり、お社を参拝するための階段が設けられています。
古墳時代中期に築かれたと考えられている、帆立貝式の前方後円墳です。

築山古墳
中国の歴史書『魏志倭人伝』に記された「伊都国」の中心部に築かれた前方後円墳です。前方部は北西を向きますが、現在、前方部、後円部とも一部破壊されています。
1974年(昭和49年)に行われた調査によって、墳丘の全長60m、後円部の直径約49m・高さ8m、前方部の長さ約15m・幅約25m規模の、後円部に比べ前方部が短い帆立貝式の前方後円墳であることが確認されました。斜面には葺石が施され、周囲には盾形の周濠が廻っていたようで、周濠を含む全長は約105mになります。
主体部は未調査ですが、周濠からは壺形埴輪や円筒埴輪が出土していて、この古墳が築かれたのは、今から約1,600年前の4世紀末ごろと考えられ、この古墳の北にある端山古墳に後続して築かれたと考えられています。また、古い記録には、付近に「茶臼塚」と呼ばれる古墳が存在したことが記されていますが、その位置は確認されていません。
この古墳に葬られた人は、弥生時代の「伊都国」の王に代わってこの地域を支配した、大和政権と深いつながりをもった豪族であったと考えられています。

築山古墳のすぐ近くには、「三雲・井原遺跡」の説明板があります。
この辺り、瑞梅寺川と川原川に挟まれた地域に、弥生時代の「伊都国」の王都とされる遺跡が見つかりました。

築山古墳(左)と、端山古墳(右)

伊都国歴史博物館方面へ向かう

築山古墳から、伊都国歴史博物館方面へ向かいます。途中に牛舎がありました。
その先に、「津田守彦翁之碑」があります。津田守彦翁は、幕末の福岡藩士であり、明治時代の政治家です。明治維新後、この地で農業や蚕業を営んだそうです。

Walking…2020.11.25.

アクセス

 名称 平原遺跡 
 住所  福岡県糸島市有田1 
 電話 
 URL 
 名称 石ヶ崎支石墓 
 住所  福岡県糸島市三雲1613-2 
 電話 
 URL 
 名称 端山古墳 
 住所  福岡県糸島市三雲12-5-318 
 電話 
 URL 
 名称 築山古墳 
 住所  福岡県糸島市三雲207 
 電話 
 URL 

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