日吉神社
柳川の総鎮守「日吉神社」は、正応3年(1290)近江国坂本の日吉神社の分霊を勧請したのに由来します。明治以前は山王宮や山王大権現と呼ばれていました。
田中吉政公、立花宗茂公共に崇敬し、元禄9年(1699)立花鑑虎公の時に社殿を再興したのが現在の社です。
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日吉神社は、正応3年(1290)に近江国の日吉大社を歓進したことに始まるとされ、その後は、初めてこの地に柳川城を築いた蒲池家をはじめ、立花家、田中家など、歴代柳川城主の庇護を受けてきた由緒ある神社です。
この日吉神社の本殿及び幣殿、拝殿は18世紀前半の建築と考えられ、市内で最も古い神社建築の一つです。
境内の太郎稲荷神社は、もともと柳川城内にあったものが移されました。この太郎稲荷は「疱瘡の神様」として有名であり、特に江戸の立花家下屋敷に祀られていた太郎稲荷は、江戸時代には数回にわたって爆発的に信仰されました。
境内には長谷健文学碑や木村緑平句碑等の文学碑、うなぎ供養碑があり、毎年顕彰祭や供養祭が行われています。
《境内入口 案内板より転記》
日吉神社の鳥居をくぐって境内に入ると、まず境内末社である「正一位太郎稲荷大明神」が右手に鎮座しています。
注連柱の右手には、お守りなどの授与所があります。
注連柱より中に進みますと、お多福門がどどーんとお出迎え。この「お多福門」は、約20年前から毎年、年末頃~雛祭り期間までお目見えするようです。縦横ともに5.2メートル、重さ約300キロという巨大お多福で、人が通れる口部分は、高さ2メートル、幅2.2メートルなのだとか。
お多福門をくぐる前に、その手前を見てみます。右手には、末社の「金刀比羅神社」が鎮座しています。その横には「見ざる聞かざる言わざる」の三猿が。
お多福門の左手を見ると、「柳川雛祭り❝さげもんめぐり❞」期間中でしたので、「さげもん」が飾られていました。
それでは、お多福門をくぐって、本殿・拝殿の前へ。境内はどこも綺麗にされています。お掃除をされている巫女さんや、境内右手側にある小動物の小屋の管理をされている方をお見かけしましたので、毎日丁寧にご奉仕されているのが伺えました。
社紋は「〇」の中に「一」
日吉神社拝殿より左手に進むと、明治44年に合祀された諸神祗社があります。
境内右手には、動物小屋が幾つも並んでいて、小動物が飼育されていました。訪れた日に確認できたのは、フラミンゴ、インコ系や鶏系の鳥類、ウサギ、ヤギなど。近くの園児たちが遊びに来ていました。
境内右手には、川下りのお堀があり、「うなぎ供養碑」があります。
日吉神社 アクセス
名称 | 日吉神社 |
住所 | 福岡県柳川市坂本町6-1 |
TEL | 0944-72-3357 |
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