松濱軒(しょうひんけん)
元禄元年(1688)に、三代目八代城主・松井直之公が母崇芳院尼(すうほういんに)のために建てたお茶屋です。当時この辺りには松が茂り、八代海を見渡せる浜辺であったことから「松浜軒(しょうひんけん)」と名づけられました。
現在は、国指定名勝となっており、四季折々の花々が咲く名所です。特に6月上旬には約5,000本の肥後花ショウブが大輪の花を咲かせます。また、松井家に伝わる家宝を展示する松井文庫の資料館があります。
松濱軒は、元禄元年(1688)、八代城主三代松井直之が、母の崇芳院尼(すうほういんに)のために建立した茶庭です。
当時は松波越しに八代海・宇土半島、さらに遥か雲仙を望む雄大な眺望の庭園で、松濱軒の名もこれに由来しています。
伸びやかな池には配石がみられ、西寄りの赤女池周辺に石組が施された築山を座敷から眺める、奥行きのある景色を形成しています。
また、南寄りには茶庭に繋がる池に八ツ橋が架けられ、絵画の画題を想起させます。池の東よりの中心となる中島の一部には、桂離宮天橋立の景色に似た州浜部が見事に造形されていて、大名庭園として変化に富んだ風情を構成しており、当時の形状を良く今に伝えています。
このように、雄大な海と遥かな山岳の景色を取り込んだ意匠を持つ、江戸時代初期の大名庭園として良好に保存されていて貴重であり、平成14年に国の名勝に指定されました。
1688(元禄元)年、黄檗宗・慈福寺跡に、八代城主・松井直之が母・崇芳院のためにつくった御茶屋。保養所、客室、避難所としても機能し、1873(明治6)年以降は松井家の住宅となる。昭和の一時期に旅館としても活用された。
1793(寛政5)年、肥後藩茶道方・小堀詮順により庭園は大改修された。主屋・書院棟はこれ以前の建築。鉤型で、書院・白菊の間が赤女ヶ池の州浜に突出する。ここからは中島と、かつては遠景に雲仙を望むことができた。白菊の間には床・違棚・書院・板絵のある板戸があり、雪の間(旧次の間)には置床、花の間(旧茶室)には茶湯棚がある。
1871(明治4)年頃に玄関棟など、その後、2階建の新居間棟を増築。新居間棟の角に三畳台目の茶屋がある。またこの頃新居間棟西に、麓御茶屋を移築し茶室・林鹿庵とする。
1949(昭和24)年、昭和天皇宿泊時に玄関棟を南に曳き家し、その場所に大広間棟を増築、東に冠木門を設けた。大広間棟主室には一間半の畳床があり、次の間は能舞台としても使用された。玄関棟は唐破風で鬼瓦・掛巴・拝懸魚に松井家紋がある。冠木門付近の塀は板塀瓦とする。
また蔵が3棟並ぶ北西のエリアには、以前花火を作っていた棟があり、これを現在、綴玉軒という茶室としている。
庭園の広さは約9,000平方メートルです。中央に大きな池があり、庭園内の散策は、その池に添って歩きながら、ぐるりと奥に回り込みます。一番奥の方には、「稲荷大明神」が鎮座しています。庭園内には四季折々の花が咲くそうですが、訪問時には時期が悪かったのか、睡蓮の花を見かけたくらいでした。
庭園内を散策して、入口付近に戻って来ると、係の方が「児宮(ちごのみや)」の説明をして下さりました。名前の通り、子供の無事な成長や家内安全・商売繁盛にご利益があるそうです。
この児宮の拝殿の屋根には、巴瓦に松井家の家紋が入っており、垂れ下がった形の掛瓦が付いています。この垂れ下がった形の瓦は珍しいそうです。
最終訪問日:2023.09.27.
松濱軒 アクセス
名称 | 松濱軒 |
住所 | 熊本県八代市北の丸町3-15 |
TEL | 0965-33-0171 |
URL | https://higo-shohinken.jp/ |