竹原町並み保存地区
広島県竹原市は安芸の小京都とも言われ、江戸時代後期に栄えたお屋敷や、 由緒あるお寺のある町並みが往時の姿を残しています。
地蔵堂
西方寺に属します。1610年(慶長15年)の下市の大火により焼失しましたが、 その後代官鈴木重仍により再建され、以降塩浜の守護として信仰されていました。 上市の胡堂と共に近世の町づくりの境界神としても貴重な遺構です。
現在のお堂は昭和2年の建築です。
[現地案内板より転記]
竹鶴酒造
ニッカウヰスキーの創業者で、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝の生誕の地です。
江戸中期の1660年代に「小笹屋(おざさや)」の屋号で製塩業を営み、冬場に余剰の労働力を流用して1733年(享保18年)に酒造業を始めました。
竹鶴政孝の生家として知られていますが、政孝の実家は祖母の代に分家し製塩業を営んでおり、この竹鶴酒造は実家ではなく生家です。竹鶴酒造(本家)の主人夫妻が亡くなったため、 政孝の父・敬次郎が後見として本家に入って酒造業を継いだことから、政孝は分家ながら竹鶴の本家で生まれました。
竹鶴政孝のウイスキーにかけた情熱と人生は、平成26年のNHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルにもなりました。
松坂家住宅
市指定重要文化財です。波うつような独特の大屋根、うぐいす色の漆喰、大壁造り、塗込めの窓額つき菱格子の出窓、 ゆるやかにカーブした本瓦葺の下屋など、町並みの中でも独特の雰囲気をもつ華やかな建築意匠です。浜旦那(塩田経営者)の豪邸です。
周辺の町並み
歴史民俗資料館 / 竹鶴政孝・リタ銅像
「歴史民俗資料館」は、かつて図書館だった洋館に、竹原市の文化、歴史、民俗、塩業、産業などの資料を収蔵しています。歴史民俗資料館の右手には、ウイスキーに障害を捧げた 竹鶴政孝と、妻リタの銅像が立っています。
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝は、酒造業・製塩業を営む竹鶴敬次郎の四男五女の三男として生まれました。
当時洋酒業界の雄であった大阪市の摂津酒造に入社し、摂津酒造の命で1918年、当時まだなかった純国産のウイスキーを造るため、スコットランドで学びます。 スコットランドに滞在中の1920年、リタと結婚し、翌年帰国。
しかし戦後の世界恐慌のため、摂津酒造でのウイスキー造りは頓挫してしまいますが、1923年に寿屋(現在のサントリー)がウイスキーの国内製造を企画し、竹鶴政孝を呼び寄せます。1929年に竹鶴政孝が製造した最初のウイスキーが発売されました。
修景広場
まちなみ竹公房の裏にある竹をテーマにした休憩所です。水飲み場やベンチが設置されています。
賴惟清旧宅 / 胡堂
「賴惟清旧宅」は、賴山陽(らいさんよう)の祖父・惟清が紺屋を営んでいた家です。 賴一門の発祥の地であり、江戸中期の遺構がよく残っています。
「胡堂」は、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」でもおなじみ。竹原の小祠中、最大規模で最古の建築です。
照蓮寺
元は定林寺と称した曹洞宗の禅寺で小早川氏代々の子弟が学びました。 名園「小祇園」があります。
賴山陽胸像
江戸時代の漢学者で、「日本外史」の筆者である「賴山陽(らいさんよう)」の胸像です。祖父・惟清と父・春水の出身地であることから、竹原を故郷としていました。
「道の駅 たけはら」横の交差点に立っています。