勝山公園に残る軍事遺構
勝山公園 は、北九州市小倉北区の「小倉城」を中心とした都市公園です。現在は市民の憩いの場になっているエリアですが、明治時代から昭和初期にかけては大日本帝国陸軍の施設が置かれ、軍都として栄えていきました。
小倉には明治8年(1875年)に「歩兵第十四連隊」が設置されました。明治18年(1885年)に小倉城松の丸跡に、歩兵第十四連隊と福岡の歩兵二十四連隊を管轄する「歩兵第十二旅団」の本部が開設されました。
そして同31年(1898年)に、日清戦争後の軍費拡張のため、小倉、大分、久留米、佐賀の各連隊や下関要塞砲兵連隊を統轄する「第十二師団」が生まれ、その司令部庁舎が本丸跡に建てられました。
昭和に入ると、昭和8年(1933年)に「小倉工廠」が設立され、昭和15年(1940年)に「小倉陸軍造兵廠」と改称されました。ここは西日本最大の軍需工場で、その為、8月9日の原爆投下の第一目標ともなりました。しかし視界不良の為、第二目標の長崎に原爆投下されました。そんな経緯もあり、勝山公園内には「長崎の鐘 (原爆犠牲者慰霊平和祈念碑)」があります。
現在、小倉城内には2つの軍事施設跡があります。本丸にある「第十二師団司令部正門跡」と、松の丸にある「歩兵第十二旅団本部正門跡」です。この2つの門は、小倉城の「鉄門跡」を挟んで向かい合う位置に立っています。
第十二師団司令部正門跡
この煉瓦造りの門は、明治31年(1898年)から大正14年(1925年)まで小倉城内にあった「第十二師団」の司令部正門です。第十二師団の傘下で小倉に置かれたのは、歩兵第14連隊・歩兵第47連隊・騎兵第12連隊・野戦砲兵第12連隊・工兵第12大隊・輜重兵第12大隊でした。師団が設置されたことにより人口は増え、商業は発展し、交通インフラなども整いました。そうして軍都として栄えていくこととなります。
明治時代を代表する小説家・森鴎外は、陸軍軍医としても活躍し、明治32年(1899年)6月から約2年10ヶ月の間、第十二師団の軍医部長を務めていました。彼もまた、この門を通って登庁していました。
歩兵第十二旅団本部正門跡
この白い門は、明治18年(1885年)に松の丸跡に開設された「陸軍歩兵第十二旅団本部」の正門であったと言われています。
門柱は赤レンガを使い、煉瓦と煉瓦の継ぎ目に「覆輪目地」と呼ばれるかまぼこ形に膨らみを持たせる大変手間のかかる工法が取り入れられています。
現在の門柱は、レンガ積みの上から方解石を混ぜた洗い出しモルタルで覆われています。
最終訪問日:2026.01.18.
勝山公園に残る軍事遺構 アクセス
| 名称 | 小倉城 |
| 住所 | 福岡県北九州市小倉北区城内2-1 |
| TEL | |
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