福岡城跡(舞鶴公園)
福岡城は、関ヶ原の合戦の功績によって徳川家康から筑前52万石を与えられた黒田長政と、その父・官兵衛(如水)によって、慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて築城されました。
黒田長政と、築城の名手といわれた黒田官兵衛が手がけただけあり、敵との戦を想定した城のつくりになっています。内郭面積は約41万㎡、周囲を堀に囲まれ、47の櫓と10の城門を配していました。
海側から見た城の形が、空を舞う鶴の姿に似ていたことから、別名は舞鶴城。現在は国指定史跡であり、舞鶴公園として整備されています。
現在は、建物は殆ど残っていませんが、石垣や縄張りはほぼ当時のままの姿を留めています。天守閣はありませんが、建て替えを行いながら現存する「多聞櫓」は国指定重要文化財であり、他に復元された「潮見櫓」「(伝)潮見櫓」「下之橋御門」があります。「福岡城むかし探訪館」「鴻臚館跡展示館」「三の丸スクエア」など、展示施設もあります。
緑あふれる城内には、2月に梅、3月は桜、4月は牡丹、5月は芍薬や花菖蒲、8月は蓮など、四季折々の花が咲きます。
表御門跡
二の丸から本丸へあがる地点には、櫓門形式の重厚な造りの本丸表御門がありました。
日常的に使われる裏御門に対して、表御門は特別な日にのみ使用されていました。
表御門は、黒田家の菩提寺である崇福寺の山門として、大正7年(1918年)に移築され、現在もその遺構を見ることができます。
水の手
表御門跡の石段を上ると、眼下にラグビー場と野球場が広がっています。ここには、二の丸御殿と水の手がありました。
水の手とは水源地のことです。敵方に城を攻められて長期間城内に立て籠もることになってしまった場合のために、飲料水として湧き水をためていたと考えられています。
本丸天守台
福岡城には大天守台の東側に、小・中天守を思わせる櫓が建てられました。
大天守台と小・中天守台を形成する石垣は、本丸を南北に分断した全国的にも珍しい構造になっており、南側からの敵の侵入を防ぐ狙いがあったと考えられます。
天守台からの眺めは標高36mで、西側に広がる大濠公園を眼下に、福岡タワーや福岡ドームを望みます。
名島門
この門は、天正15年(1587年)小早川隆景が多々良川口の名島に築いた名島城の脇門で、慶長年間(1596年~1614年)黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田24騎の一人である林掃部にさげ渡され、邸宅の門として使用されていたもので、「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構の一つです。
明治の中ごろ、長崎に移築されそうになったのを、当時の代議士によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていましたが、戦後ビルの建設に伴って現在地に移築されたものです。
(伝)潮見櫓と下之橋御門
(伝)潮見櫓は、福岡城に50近くあった櫓の一つです。大正初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年(1956年)に再移築されました。
潮見櫓の本来の位置は、現在の位置ではなく三の丸北西角であり、また、この建物は平成3年(1991年)の調査の結果、潮見櫓ではなく、城内の別の櫓であると考えられています。
潮見櫓
潮見櫓は、三の丸北西隅の土塁上による二階建ての櫓で、城外に面して石垣が築かれています。
櫓からは目の前に広がる博多湾を見渡すことができたため、「潮見櫓」と名付けられたと言われています。
廃城後の明治41年(1908年)に、花見櫓と共に黒田家の菩提寺であった崇福寺(福岡市博多区)に移築され、仏殿として使用されていました。
平成2年(1990年)に福岡市が建物を買い上げ、令和7年(2025年)3月に復元工事が完了し、同年5月より一階部分の公開が始まりました。
最終訪問日:2026.03.16.
福岡城址(舞鶴公園) アクセス
| 名称 | 福岡城址(舞鶴公園) |
| 住所 | 福岡県福岡市中央区城内1-4 |
| TEL | 092-781-2153 |
| URL | https://www.midorimachi.jp/maiduru/ |
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