旧伊藤伝右衛門邸
「旧伊藤伝右衛門邸」は、筑豊の炭鉱王として名をはせた伊藤伝右衛門が、明治時代末に建てた豪邸です。その後、数度の増改築をくり返しながら現在に至り、広大な庭園とともに一般に公開されています。平成23年(2011年)に庭園が国指定名勝となり、令和2年(2020年)に建造物が国指定重要文化財となりました。
九州初の水洗トイレや、洋風の応接室、その暖炉にはアール・ヌーヴォー調のタイルなど、その時代の最先端の物が使われています。
伊藤伝右衛門(伊藤傳右エ門)(1860~1947)は、現在伊藤伝右衛門が建つこの地で生まれ、父の炭鉱開発を機に、炭鉱で成功し、筑豊の炭鉱王と呼ばれるようになりました。
筑豊地区は明治、大正、昭和にかけて、石炭供給地として大きな規模を誇り、貝島、麻生、安川の「筑豊御三家」と呼ばれる炭鉱で財を成した財閥(炭鉱王とも称された)がありました。伊藤伝右衛門はそれ並ぶ事業者として成功を収めました。
伊藤伝右衛門は、石炭事業で得た富で、学校や育英会を設立したり、また衆議院議員となり、遠賀川の改修工事を実現するなど、筑豊地区の発展に貢献しました。
私生活では、再婚した25歳年下の柳原白蓮が起こした駆け落ち事件「白蓮事件」で一躍有名にもなりました。
伊藤伝右衛門は前妻の没後、大正天皇の従妹にあたる、柳原燁子(後の歌人・柳原白蓮)と再婚します。燁子も再婚でした。燁子を迎え入れる際に、この本邸の大改築を行い、総平屋建てだった建物に、2階部分が建て増しされ、白蓮の居室となりました。この広い屋敷の中で、2階部分はここだけなのです。
その後約10年、白蓮が駆け落ちによって出ていくまで、伝右衛門と白蓮は主にこの本邸で暮らしました。しかし、一般的な幸せな結婚生活とは程遠く、伝右衛門に複数の妾が居たり、妾の子が居たり、等々、波乱万丈の生活だったようです。
旧伊藤伝右衛門邸
この建物は筑豊の著名な炭坑経営者であった伊藤伝右衛門の本邸として明治30年代後半に建造。大正初期、昭和初期に数度の増改築が行われました。
高い塀は旧長崎街道に面しており、福岡市天神町にあった別邸(通称銅御殿)から昭和初期に移築された長屋門や、伊藤商店の事務所が目を引きます。邸宅は南棟(正面)、北棟(庭側)、両者を結ぶ繁棟、西棟の家屋四棟と土蔵三棟からなり、池を配した広大な回遊式庭園を持つ近代和風住宅です。
建物の見どころは和洋折衷の調和がとれた美しさ。当時先進的だった建築技術や、繊細で優美な装飾を随所に見ることができます。また、柳原燁子(白蓮)が伝右衛門の妻として約10年間を過ごしたゆかりの地であり、伝右衛門や白蓮に思いをはせる場でもあります。筑豊における石炭産業の歴史と、これに関わった伝右衛門たちの人生を物語る貴重な遺産をごゆっくりご覧ください。
【建物の概要】
飯塚市幸袋300番地ほか
敷地面積 約7,570㎡(約2,300坪)
建物延床面積 約1,020㎡(約300坪)
飯塚市有形文化財(平成18年9月26日指定)[現地案内板より転記]
本邸内部
本邸外周と庭園
伊藤伝右衛門邸の本邸を出て、本邸の右側面(東側)の方へ進むと、「旧伊藤商店事務所(現在は白蓮館)」と「書生棟(現在は休憩所)」があり、その先に進むと、国指定名勝である「旧伊藤伝右衛門氏庭園」があります。
庭園は、明治末期から大正初期頃の造営と考えられています。太鼓橋’噴水を配した回遊式庭園です。伝右衛門は、採炭事業の伸展と共に宅地を拡大し、大正時代前半には現在の敷地全体を入手しました。
ショップ白蓮(売店)と伊藤伝右衛門の墓(敷地外/約500m)
長屋門に隣接する「車庫」であった建物は、現在は売店「ショップ白蓮」になっています。
伊藤伝右衛門の墓(伊藤家の墓)は、旧伊藤伝右衛門邸から約500m程の集団墓地にあり、特に案内などはありません。
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最終訪問日:2026.01.03.
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旧伊藤伝右衛門邸 アクセス
| 名称 | 旧伊藤伝右衛門邸 |
| 住所 | 福岡県飯塚市幸袋300 |
| TEL | 0948-22-9700 |
| URL |
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