北原白秋生家
北原白秋は、明治から昭和初期に活躍した、近代日本を代表する詩人、童謡作家、歌人です。
誰もが知る童謡「雨降り」「待ちぼうけ」「この道」などをはじめ、日本全国の学校の校歌など、数多くの作品を残しています。
北原白秋(本名:隆吉)は、柳川市のこの生家で19歳まで育ちました。現存する母屋は、白壁、なまこ壁の土蔵造りで、明治初期の建築と思われます。
この母屋は、「白秋生家」として北原白秋の著書や遺品を展示する資料館となっており、福岡県の史跡にも指定されています。
その裏手には、「白秋記念館」があり、白秋や柳川の歴史民俗について展示されています。
北原白秋(本名:隆吉)は、柳川市のこの生家で19歳まで育ちました。
北原家は代々柳川藩御用達の海産物問屋で、白秋の父の代では酒造業を営んでいました。
その頃の屋号を「油屋」または「古問屋」といい、人々は白秋を「油屋のトンカジョン」と呼んでいました。「トンカジョン」とは、柳川の方言で「良家の長男」という意味だそうです。
北原白秋の生家は江戸末期から明治初期の建築とみられ、当時の屋敷の広さは13,000㎡(四千坪)もあり、母屋の裏には十棟程の酒蔵等が並んでいました。
しかし、1901年(明治34年)に沖端で大火があり、その類焼によって生家の酒蔵が全焼し、母屋と穀倉以外の大半が焼失してしまいました。北原家は火災の後、衰退し、破産しました。
現在の建物は、1969年(昭和44)に補修及び復元されたものです。
母屋の建物を裏から出ると、左手に復元された「隠居部屋」と、その前にはザボン(朱欒)が実っていました。ザボンは主に四国・九州で栽培される柑橘類で、白秋が編集した文芸雑誌の名前「朱欒(ざんぼあ)」でもあります。
隠居部屋の隣には「水汲み場」で、この石段とお堀は当時からの物でしょう。
右手の「穀倉」は火災を免れ現存する建物で、白壁、なまこ壁です。
北原白秋記念館
「白秋生家」の奥に建つ建物が、「白秋記念館」です。白秋生誕100年を記念して、1985年に開館しました。
柳川の歴史民俗、伝統工芸に関する展示や、北原白秋に関する展示を行っています。
最終訪問日:2024.03.04.
北原白秋生家・記念館 アクセス
名称 | 北原白秋生家・記念館 |
住所 | 福岡県柳川市沖端町55-1 |
TEL | 0944-72-6773 |
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