臼杵石仏(臼杵磨崖仏)< ホキ石仏第一群・第二群 >

臼杵石仏 は大分県臼杵市にある4群60余躯の磨崖仏の総称で、国の特別史跡に指定されており、そのうち59体が国宝に指定されています。磨崖仏が国宝に指定されたのは日本で初めての事でした。
石仏は、古園石仏群・山王山石仏群・ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏)・ホキ石仏第二群の4群に分かれており、いずれも製作時期・製作者・製作目的などが未だに明確には分かっていませんが、大部分の物は平安時代、ホキ石仏第一群第三龕・第四龕は鎌倉時代の造仏と推定されています。(「ホキ」とは第一群・第二群がある地域の小字名です)
駐車場横には臼杵石仏周辺の発掘調査で出土した品々や、旧臼杵藩主稲葉家に伝わる品々を展示した「ヤマコ臼杵美術博物館」があり、臼杵石仏との共通入場券が販売されています。
駐車場周辺には食事処や土産物屋が数件あります。
駐車場から臼杵石仏の参道入口へ向かう途中にも、1体の磨崖仏を拝見しました。「願い 不動明王」と名付けられた磨崖仏で、2m20cmの座像です。こちらは損傷もなくくっきりと綺麗なお姿で、衣の着色も見て取れます。
それでは石仏参道入口です。参道はスロープになっており、車椅子でも拝観できます。
この臼杵石仏は全て切り立った岩肌に彫られた磨崖仏で、伝説によると、今から1400年前(飛鳥後期から奈良時代) 真名野長者の名で親しまれた「炭焼小五郎」が、亡くなった娘の供養に 中国の天台山に黄金三万両を献上して、そのお礼に来られた蓮城法師からインドの祇園精舎の話を伺い、 都から木彫りの仏師を大勢招いて彫らせたと云われています。
しかし前記の通り、平安時代後期の作とする説が有力です。
ホキ石仏第二群 第一龕・第二龕
この順路で進むと、まず見えてくるのが『ホキ石仏第二群』です。ホキ石仏第二群は第一龕と第二龕から成り、磨崖仏に向かって左が第一龕、右が第二龕です。
ホキとは「がけ」という意味の地名で、龕(がん)とは断崖を掘って仏像などを安置する場所の事です。
ホキ石仏第二群 第二龕 には九品(くほん)の阿弥陀像が刻まれており、その両脇には1躯ずつの菩薩立像が配されています。
九体の阿弥陀如来像は比較的小さく、中央の阿弥陀如来像のみが坐像で、両脇に4体ずつの立像を配しています。
さらにその両脇に1躯ずつの菩薩立像が配されていますが、向かって左のものは原型を留めていません。
ホキ石仏第二群 第一龕 には阿弥陀如来坐像を中心に、左に勢至菩薩立像、右に観音菩薩立像を配しています。
三尊ともにふっくらとしたお体で、重厚感があります。
ホキ石仏第一群 第一龕・第二龕・第三龕・第四龕
ホキ石仏第二群より少しスロープを上ると、『ホキ石仏第一群』があります。ホキ石仏第一群は4つの龕から成り、こちらも向かって左手が第一龕です。
ホキ石仏第一群 第一龕 は伝薬師如来・伝釈迦如来・阿弥陀如来の如来坐像三体を中心に、両脇に菩薩・観音菩薩の2体の立像を配す、合計5体の石像が刻まれています。
第二龕 はホキ石仏第一群の中心にあり、第一龕と同じく如来三尊坐像が刻まれています。薬師如来・阿弥陀如来・伝釈迦如来の坐像三体の右側に愛染(あいぜん)明王坐像が配されています。

第三龕 は阿弥陀如来・大日如来・伝釈迦如来の三尊の坐像を中心に、両脇に伝勢至・伝観音菩薩立像を配しています。右端の伝観音菩薩立像は残念ながら上半身が欠損しています。
第四龕 は地蔵菩薩半跏像を中心に、左右に5体ずつの十王立像を配しています。
石仏は小ぶりですが、着色も良く残っていて、欠損も殆どなく状態の良い物です。
臼杵石仏の大部分の物は平安時代後期の作と推測されていますが、ホキ石仏第一群第三龕・第四龕のみ鎌倉時代に追刻されたものと推測されています。
五輪塔
臼杵石仏内のホキ石仏第一群のすぐ横から、国指定重要文化財・特別史跡に指定されている五輪塔へ向かう階段があります。
通称:中尾五輪塔と呼ばれる石造五輪塔で、大小2基の阿蘇熔結凝灰岩製の五輪塔です。大小二基とも在銘の五輪塔です。
最終訪問日:2014.01.03.
臼杵石仏(臼杵磨崖仏) アクセス
| 名称 | 臼杵石仏(臼杵磨崖仏) |
| 住所 | 大分県臼杵市大字深田804-1 |
| TEL | 0972-65-3300 |
| URL | https://sekibutsu.com/ |
近隣スポット
PR | Information
LINK , TAG , Others…
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド》since 2023 ⇨ 本サイトトップページ
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド》since 2008 ⇨ 旧サイトトップページ
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド ~ブログ編~》 ⇨ ブログ記事

























コメント