落下傘整備所
「宇佐空の郷」から約200mほどの住宅街に位置する、「落下傘整備所」です。現在は宇佐市の史跡として整備され、駐車場も1台完備されています。
昭和14年(1939年)頃に建てられたと思われる、2階建てのレンガ造りの建物で、宇佐海軍航空隊で落下傘を整備していたと言われています。時期によっては魚雷や小型爆弾を保管したと言われていますが、詳細は不明なようです。外壁には米軍の機銃掃射の痕が無数にあります。
建物の外周はセメントモルタルで接着したレンガ壁で、外壁の厚さは35cmほどです。内部は鉄筋コンクリート造りの柱や梁で建物を支える構造になっています。
北側の壁面には「◯」が白い塗料で書かれています。これは、火事が起こった時に最優先で消火せよという印で、航空隊の司令部庁舎にも書かれており、重要な建物だったことが伺えます。同じ印が航空隊の司令部庁舎にも描かれていました。
幅 11m、奥行 12m、最大高 7.7m
以前訪問したときには、東側(現在説明が設置してある側)の上部には鉄製の階段が付いていました。つまり右上の開口部はドアで、出っ張っている部分は階段用の床だったのですね。(2017年訪問時の写真は下に)
宇佐海軍航空隊について
宇佐海軍航空隊は、南北1.3km、東西1.2kmの飛行場として、昭和14年(1939年)10月1日に開隊しました。開隊当初は、艦上爆撃機・艦上攻撃機の実戦機を使った操縦と偵察の練習航空隊として、隊員数約800名で始まりました。宇佐空では2人乗りの「九九式艦上爆撃機」、3人乗りの「九七式艦上攻撃機」を主に用いて訓練を行いました。卒業後は実戦部隊に配属され、真珠湾攻撃などの作戦に参加しました。
しかし、戦局に敗色が濃くなってくると、昭和20年(1945年)1月頃から有蓋掩体壕が作られるようになり、2月11日には宮崎基地より神雷部隊の一部が転入してきます。神雷部隊は第721海軍航空隊の通称で、人間爆弾「桜花」による特別攻撃隊でした。その頃から練習航空隊ではなく実戦部隊となり、神風特別攻撃隊の中継基地となりました。宇佐海軍航空隊でも、神風特別攻撃隊である「八幡護皇隊」が編成され、沖縄の特攻作戦へ飛び立っていきました。
宇佐への空襲は、昭和20年(1945年)3月18日の米軍艦載機での空襲が初めてで、4月21日の米軍爆撃機B-29の空襲では航空隊が壊滅的な被害を受けました。宇佐への空襲は計10回行われ、航空関係者や民間人も含め多くの犠牲者が出ました。
最終訪問日:2025.04.12.
落下傘整備所 アクセス
| 名称 | 落下傘整備所 |
| 住所 | 大分県宇佐市大字江須賀4030-4 |
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