丹賀砲台園地
戦時中、豊後水道一帯の要所として重要な役割を果たした「丹賀砲台」は、 昭和6年(1931年)に、豊後水道一帯を守る豊予要塞(ほうよようさい)の重要な一角として構築されました。斜坑の階段は169段の御影石で作られており、その先に海軍の巡洋艦「伊吹」の大砲が備え付けられました。
当時の要塞遺跡としては保存も良く、現在はモダンな建物に生まれ変わっています。
まず外観をゆっくり写真に収めようと思ったのですが、駐車場に車を停めると、ご高齢の女性が管理人室からケーブルカー乗り場へ向かいながら、こちらへ声を掛けて来られました。
促されるままにケーブルカーに乗り込み、ケーブルカーの使い方をレクチャーされます。別に難しい事はないのですが、ドアを力いっぱい閉めないと閉まらないらしいです。
ケーブルカー「伊吹」に乗り込み、砲塔砲台へと向かいます。
ケーブルカーは当時の斜坑を利用したものです。 ケーブルカーを下りると幾つもの部屋があって、その奥に砲塔井があります。
左手の「諸管溝・通路」の両壁には丹賀砲台や豊予要塞に関する様々なパネルが掛かっています。
丹賀砲台の 砲塔井の直径は10メートル、深さは12.8メートル。もっとも薄いところでも2メートル以上の鉄筋コンクリートでできています。
海軍の巡洋艦「伊吹」の大砲後部主砲45口径30センチ2連装カノン砲が転用し据えられていました。
「伊吹」は大正11年(1922年)締結のワシントン海軍軍縮条約により廃棄が決定し、1923年に除籍後、翌年にかけて解体され、2基の主砲が津軽要塞と、ここ丹賀要塞に転用されたのでした。
太平洋戦争勃発直後の昭和16年(1941年)、対英米関係が緊迫し、同11月17日、豊予要塞に緊急戦備が発令され、12月下旬、豊予要塞司令部、要塞重砲兵連隊ならびに陸軍病院の戦時編成が令達されました。
緊急配備に基づき要塞重砲兵連隊は昭和17年1月11日、丹賀砲台の実弾試射を実施することになりました。
しかし、この実射訓練の終わりに発射した弾丸が腔発し、砲台は一瞬のうちに破壊され、多くの死傷者を出す事態が発生しました。
この事故によって、丹賀砲台は実戦で1度も使用される事なく、再生不能となりました。
砲塔井跡には、見学用のらせん階段が設置されており、それを上って外に出る事が出来ます。 砲塔井には当時の爆発事故の痕跡が残っています。
砲塔井の上部には、ドーム型の屋根が取り付けられ、下から見ると優美なデザインで、ここだけ近代的な美術館の様にも見えます。
丹賀ドームから外に出ると、豊後水道が望めます。確かにこの見晴らしなら、カノン砲を打つのに適していた事でしょう。
豊後水道と丹賀ドームの美しさを堪能したところで、砲塔砲台を後にする事にします。
下りも勿論、ケーブルカーで下ります。
しかしここでトラブル発生。ケーブルカーが下に降りていたので、呼び出しボタンを押しましたが、何度も押しても、一向にケーブルカーが上がって来ません。パンフレットに記載されている電話番号に電話しようとしましたが、砲台跡の中は携帯の電波が届きません。
再度らせん階段を上って電話をかけるか、それとも暫くここで待つか考えていると、やっとケーブルカーが上がって来ました。
斜坑口まで降り、係りのおばちゃんに「呼び出しボタン壊れてません?」と尋ねると、あっさり「壊れてますよ」って・・・ どうやらケーブルカーの上り下りはおばちゃんの采配にかかっている様です。(2017年9月現在)
斜坑口の左手には、「忠魂之碑」「地下弾薬庫」「平和の塔」があります。
帰ってきてネットを見ていると、「地下弾薬庫」も入れるみたいなんですよね。残念・・・
最終訪問日:2017.09.29.
丹賀砲台園地 アクセス
| 名称 | 丹賀砲台園地 |
| 住所 | 大分県佐伯市鶴見大字丹賀浦577 |
| TEL | 0972-34-8222 |
| URL |
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