旧佐伯海軍航空隊の掩体壕
大分県佐伯市には、かつて佐伯海軍航空隊がありました。その遺構として、掩体壕が2基残っています。
現在は「興人(株)」様の工場敷地内となっていますので、守衛さんにお願いして見せて頂きました。佐伯市のパンフレットにも掲載されているくらいですので、台帳に記帳するだけで、すんなり見せて頂けました。手作りっぽい掩体壕の説明も頂きました。有難うございます。
掩体壕とは、航空機や物資などを敵の攻撃から守るための格納庫です。土堤のみをコの字型に盛った無蓋掩体壕、コンクリート製で多くがかまぼこ型をした有蓋掩体壕などがあります。
こちらの掩体壕は、見ての通りの分厚いコンクリート製の有蓋掩体壕です。
【旧佐伯海軍航空隊と掩体壕について】
昭和6年2月、海軍省が九州東海岸に航空隊を設置することを決定し、佐伯はその有力候補地として、町の発展を願い盛んに誘致活動を展開していきました。
その結果、立地条件の優位により、同年8月に佐伯海軍航空隊の設置が決まりました。
以来、女島沖・長島一帯・濃霞(のうか)山周辺までの約40万坪もの広大な区域が海軍航空隊の用地として整備されていきました。この工事には、地元の人々を中心に千人を超える労働者が従事したといわれ、昭和9年2月15日に佐伯海軍航空隊が正式に開隊し、飛行場が設置され、西側の中江川沿いには戦闘機の格納庫・指揮所などが並び、基地の中枢を担っておりました。
昭和16年11月には、ハワイ真珠湾攻撃に先立ち、佐伯湾で連合艦隊の統一訓練が行われており、本基地が太平洋戦争の開戦に大きく関わっていたことが分かります。
昭和20年ごろになると進攻作戦に転じた米軍の空襲が次第に激しくなってきました。そのため待機中の戦闘機を米軍の爆撃から守り退避させるための掩体壕が、本飛行場内に分散して設置されました。
この掩体壕はそのうちの一基で、現有規格からして零式戦闘機又は飛燕(ひえん)戦闘機が格納されていたと思われます。
この度、貴重な戦史遺産として、文化庁の「登録有形文化財」に原簿登録されました。
[現地案内板より転記]
高さ:4.5m、 幅:17.32m、 奥行:12.52m、 天蓋壁厚さ:0.5m
太平洋戦争末期になると、空襲が激しくなってきたため、戦闘機を守るために造られた掩体壕。掩体壕の外壁を見ると、機銃弾の跡と思われる跡がありました。
この掩体壕は鉄筋鉄骨コンクリート木製枠造りで、当時の滑走路に平行して造られています。
佐伯市は20年3月18日に空襲を受け、佐伯海軍飛行場も昭和20年5月に大規模な爆撃を受け壊滅的な被害を受けました。
ところで、ここには2基の掩体壕が並んで現存していますが、登録有形文化財に指定されているのは、こちらの1基(入口に近い方)だけです。
奥側にある二基目の掩体壕は、見た目は一基目とそれ程変わらないのですが、こちらは新しくコンクリートで補修した跡が目立っています。
こちらは登録有形文化財に指定されていないので、倉庫として使われています。
最終訪問日:2017.06.18.
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旧佐伯海軍航空隊の掩体壕
| 名称 | 旧佐伯海軍航空隊の掩体壕 興人ライフサイエンス㈱ 佐伯工場内 |
| 住所 | 大分県佐伯市東浜1−6 |
| TEL | 0972-22-1050 |
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