
旧佐伯海軍航空隊の掩体壕
大分県佐伯市には、先の大戦中、佐伯海軍航空隊 がありました。現在も佐伯港周辺には、幾つかの戦時中の遺構が残されていおり、そのひとつが「旧佐伯海軍航空隊の掩体壕」です。興人ライフサイエンス㈱佐伯工場の敷地内に2基の掩体壕が現存しており、そのうちの1基が国の有形文化財に指定されています。
企業の工場敷地内ですが、守衛室に申し出れば掩体壕を見せて頂けます。以前訪問したときは2基とも見学できましたが、今回は登録有形文化財の1基のみ見学可能でした。もう一つは壊れかけて危険だとの事でした。
掩体壕 とは、航空機を敵の攻撃から守るために造られたシェルターです。主に太平洋戦争末期に、敵の空襲から軍用機を守るために造られた、航空機用の格納庫の事を指します。コンクリート製で屋根がある「有蓋掩体壕」と、土堤のみを盛った屋根のない「無蓋掩体壕」が在りました。
この旧佐伯海軍航空隊の掩体壕は、鉄筋鉄骨コンクリート造りで、木製の枠を使って造られました。大きさは、高さ 4.5m、幅 17.32m、奥行 12.52m、天蓋壁厚さ 0.5mです。昭和20年(1945年)頃に造られ、零式戦闘機又は飛燕(ひえん)戦闘機が格納されていたと考えられています。掩体壕は滑走路に平行して造られています。
佐伯海軍航空隊 は、昭和9年(1934年)に開隊し、翌昭和10年(1935年)には陸上飛行場が完成しました。昭和14年(1939年)には佐伯防備隊が開隊します。
昭和16年(1941年)には、真珠湾攻撃を念頭に置き、佐伯湾にて連合艦隊の最後の統一訓練が行われました。これは、佐伯湾が水深が浅く、真珠湾と地形が似ていた為です。同年12月8日に真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争が勃発します。
昭和19年(1944年)には第931海軍航空隊佐伯基地が開隊。この頃から空襲が一段と激しくなり、各地で掩体壕が造られ始めます。
昭和20年(1945年)3月18日に佐伯市は空襲を受け、この飛行場も同年5月に大規模な爆撃を受け、壊滅的な被害を受けました。
最終訪問日:2025.04.13.
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旧佐伯海軍航空隊の掩体壕 アクセス
| 名称 | 旧佐伯海軍航空隊の掩体壕 興人ライフサイエンス㈱ 佐伯工場内 |
| 住所 | 大分県佐伯市東浜1−6 |
| TEL | 0972-22-1050 |
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