三高山砲台跡(三高山堡塁)
広島湾と呉軍港への敵艦船の進入を阻止するために、旧陸軍によって作られた広島湾要塞のひとつで、江田島市の砲台山(三高山)の山頂付近にあります。日露戦争を見すえ、1901年(明治34年)に竣工し、総面積は約6万坪(198,000㎡)あります。備砲は280ミリ榴弾砲6門、90ミリ連射砲4門、90ミリ臼砲4門ありました。
兵器の発達や、豊予要塞が整備されたことに伴い、1926年(大正15年)には広島湾要塞が廃止され、陸軍より海軍に移管されました。
三高山砲台跡には、砲座跡、弾薬庫、兵舎跡、掩蔽壕等が残されています。
駐車場付近の「北部砲台跡」と、少し手前にある「南部砲台跡」に分かれており、「北部」の方が大きく、遺構も沢山残されています。
基本的に出入りは自由で、特に立入禁止のところもありませんでした。

北部砲台跡 ▶ 砲座跡・火薬庫跡・観測所跡
2門の砲座が3つ残されており、3つの砲座の間には火薬庫、両端には観測所跡が残されています。砲座の胸墻部(土手部分)に上ると、瀬戸内の島々が見渡せます。
北部砲台跡 ▶ 掩蔽部(避難壕)跡・兵舎跡・展望所
北部砲台跡の砲座・火薬庫・観測所が並んだエリアから、石段を下ると、一段低い位置に、掩蔽部(避難壕)と兵舎跡が現存しています。また兵舎跡の横は展望所になっており、瀬戸内の島々、宮島、廿日市市、広島市が遠くに望めます。
南部砲台跡
北部砲台跡の少し手前、この案内板が立つところが、南部砲台跡の入り口です。南部砲台跡は、北部に比べて非常に小さい砲台跡です。訪問時に確認できた遺構は、掩蔽部・火薬庫とその周りの胸墻部くらいでした。肝心の砲座がどこにあるのか分からなかったです。北部以上に草木が生い茂り、色々立ち入れない、見えない・・・ 季節が悪かったかもしれません。
最終訪問日:2024.06.16.
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三高山砲台跡(三高山堡塁) アクセス
名称 | 三高山砲台跡(三高山堡塁) |
住所 | 広島県江田島市沖美町是長 |
TEL | |
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