工廠神社(産業神社)とトーチカ跡
串山山麓(現:アレイからすこじま駐車場付近)には、海軍時代には呉海軍工廠の「海軍技手養成所」と「職工教習所(後の工員養成所)」という2つの教育機関がありました。ここで養成された技術者・技能者は、国のために活躍し、呉の近代造船業の確立に貢献しました。
この辺り一帯は、呉海軍工廠の軍用地で、呉海軍工廠は特に日本海軍艦艇建造の中心を担い、戦艦「大和」を建造するなど多くの艦艇建造を手がけました。
第二次世界大戦の後半に入り、日本本土への空襲が始まると、特に軍事施設が爆撃されるようになり、海軍工廠での作業は危険を増してきました。そこで、呉海軍工廠を見下ろす串山に、「工廠神社」が造られたと言われています。戦後は「産業神社」と呼ばれました。
日本本土への空襲が本格化し、軍事施設・軍需工場が標的となると、それらを空襲から守るため、呉市内では数多くの地下施設が建設されました。
この串山にも、地下工場があったと言われており、その入口や排気口、トーチカなどの遺構が点在しています。それらは戦後埋められたり塞がれたりしていますが、今でもその遺構を見ることができます。
さて、更に上っていくと、この石段の中央辺りに何か見えてきました。そしてその先には、石段の終わりと、石垣が見えています。とうとう「工廠神社」に到着でしょうか。
階段の途中には、防空監視哨と言われているトーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地のこと)がありました。塞がれてはいますが、下の方に入口らしき四角い建造物があり、それより高い位置に監視哨であろう横長い銃眼がひとつ付いた円形の建造物があります。更に円形の建造物の横から小道があり、トーチカの上に上れるようになっていて、上部には機関銃座の跡があります。
トーチカの銃眼の横から小道があり、そこからトーチカ上部へ歩くと、機関銃座の跡がありました。ここから港を監視・攻撃できるように造られていたのでしょう。
工廠神社跡
それでは石階段に戻り、トーチカ跡から少しだけ上ると、石段が終わり、石垣になっていました。そこからが神社境内だったと思われますが、今では荒れ果てて、草が茂るのみ。
何か神社の遺構があるだろうかと茂みの中を進むと、更に石段で少し高くなっているところがありました。恐らくここに工廠神社の社殿があったのではないでしょうか。そしてポツンと、石組の土台の部分があり、その上に社殿でも祠でもなく、石灯篭の笠の部分が乗っていました。
他にも何かないかなと周りを見回すと、手水舎というか手水鉢がありました。
最終訪問日:2023.04.28.
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