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放虎原殉教地

放虎原ほうこばる殉教地

明暦3年(1657年)に603人の潜伏キリシタンが発覚したこおり崩れ」に関係する処刑場跡です。郡崩れで捕らえられたキリシタンのうち、131人が万治元年(1658年)にこの付近で斬首刑により殉教しました。正確な場所は不明ですが、信者の皆様によってこの場所に殉教の顕彰碑が建てられました。
※ 郡崩れに関する人数は、説明板によって多少違っています。文中の人数も矛盾していますので、ご容赦下さい。

この顕彰碑に合祀される205福者殉教者は、大村で迫害が起こった元和3年(1617年)から寛永9年(1632年)までの16年間に殉教した著名な殉教者たちです。

放虎原殉教地にある「日本二百五福者殉教者顕彰碑」

日本205福者殉教者は、300年の迫害の後、長崎でキリシタンの子孫が奇跡的に発見された慶応元年(1865年)の⒉年後に、ローマ教皇ピオ9世により列福式が行われ、「福者」の栄位を贈られました。
大村の帯取で最初に殉教したマシャド、ペトロ両神父をはじめ、ここ放虎原等で殉教したソテロ神父ら28名と、他に長崎・有馬など長崎県内をはじめ、小倉・江戸・京都・仙台で殉教したキリシタンたちです。
ソテロ神父は、慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗が慶長遣欧使節を派遣した際に、正使を務めたフランシスコ会宣教師です。

放虎原殉教地

天文18年(1549年)に聖フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝来し、戦国大名たちを足掛かりに布教を進めていきました。現在の大村市では、大村家18代当主の大村純忠が日本初のキリシタン大名となり、布教を支持したことから、領民の多くがキリシタンに改宗しました。純忠は、長崎港の開港や南蛮貿易、日本初のヨーロッパ公式訪問団である天正遣欧少年使節の派遣など、キリスト教と密接に関係しながら偉業を成し遂げていきました。
しかし豊臣秀吉や徳川幕府による禁教令により、キリシタンへの弾圧が強くなると、大村でも取り締まりが始まります。

大村純忠の息子であり、大村藩の初代藩主となった大村喜前よしあきは、父と同じくキリシタンでしたが、慶長7年(1602年)にはキリスト教を棄教して日蓮宗に改宗しました。それに伴ってキリシタンの取り締まりを行いました。
元和元年(1615年)には喜前の嫡男・純頼すみよりが大村藩第二代藩主となります。純頼も父と同じくキリスト教を棄教し、キリシタンの取り締まりを行いました。
続く第三代藩主純信すみのぶ(純頼の嫡男)第四代藩主純長すみなが(純信の養子)もキリシタンの取り締まりを続け、大村藩からはキリシタンがいなくなったと思われていました。

そんな中、明暦3年(1657年)に郡村に隠れてキリスト教を信仰している人々がいることが発覚します。

事の起こりは、郡村矢次の百姓兵作が、長崎の知人に「郡村のキリシタンについて」漏らしたことで、町乙名から長崎奉行の耳に入り、藩主大村純長に伝わったことでした。
島原の乱(1637年)から20年後のことであり、その二の舞を恐れたことから、潜伏キリシタンの調査が行われ、翌年7月までの約9ヶ月間で608名のキリシタンが捕縛されました。大村藩には久原の牢ひとつしか持っておらず、隣接の平戸、佐賀、長崎、島原の各藩牢に依頼して一斉に調査を行い、放免された者99名、牢内病死者78名、永牢の物20名、残りの411名が斬首刑に処せれることとなりました。
411名のキリシタンは、翌年の万治元年(1658年)に各牢で一斉に斬首刑となりました。

大村久原牢の131名は、当日早朝に牢から出され、放虎原の地へ向かいますが、途中の「妻子別の石」で一休みあり、別れの水杯が交わされ、その後は真っ直ぐ刑場へ向かいました。そこで一人一人が首を跳ねられたのです。
更に死者の首は腐らないよう塩漬けにされ、20日間 “戒め” として獄門所前に晒され、胴体は桜馬場の竹山の中に埋められ、その首は遠い原口の榎の根元に埋められました。胴と首を離れた場所に埋めたのは、復活を恐れたためです。現在もその場所は、胴塚・首塚として伝えられています。

最終訪問日:2024.11.18.

放虎原ほうこばる殉教地   〚現地案内板より転記〛

天文18年(1549)日本にキリスト教が伝わり、各地へ布教が行われました。大村では、領主大村純忠が日本初のキリシタン大名となり、領内の布教を強く支援したことから、領民のほとんどがキリスト教に改宗し、キリスト教一色になりました。
しかし、豊臣秀吉、続く徳川幕府の政策により次第にキリスト教の禁教が厳しくなり、宣教師や信者への弾圧は日増しに強くなっていきました。大村藩でもキリスト教が禁止され、領民はキリスト教から仏教への改宗を厳しく迫られました。
島原の乱から20年後、領内にはキリスト教の信者が一人もいなくなったと思われていた明暦3年(1657)、郡村を中心として隠れてキリスト教の信仰を続けていた人たちが発覚する事件が起きます。
事の起こりは郡村の百姓兵作が長崎の知人を訪ねた際に「矢次の里に年が12、3才の少年がいて萱瀬の岩穴にキリシタンの絵を隠し持っている。天草四郎に勝るとも劣らないとの噂である。」ともらしたことです。この話が長崎奉行に伝わり、大村藩の潜伏キリシタンの捜索が始まりました。
捜索の結果、603人もの人々が捕まり、キリシタン弾圧史上、まれに見るキリシタン発覚事件となりました。事件の中心が郡地区であったことから「郡崩れ」と呼ばれています。あまりの逮捕者の多さに大村藩だけでは対応できず、周辺の藩にも分散して預けられ、取り調べが行われました。逮捕者のうち406人が打ち首となり、そのうち131人が放虎原で処刑されました。信者の首は、見せしめとして街道に面した獄門所に約1ヶ月間晒されました。当時はキリシタンの妖術で首と胴がつながって復活することを恐れたため、首と胴は別々の場所に埋められ、首塚・胴塚として伝えられています。

この事件をきっかけに大村藩では更に厳しくキリスト教禁教政策が行われていくこととなります。
処刑の行われた場所は正確には分かりませんが、信者の方々によって、この場所に殉教の顕彰碑が建てられています。

☟ 大村市内 キリシタン史跡 ☟
 ✞ 放虎原殉教地
 ✞ 胴塚跡/首塚跡 

 
 ✞ 天正遣欧少年使節顕彰之像
 ✞ Blog記事〚首塚跡胴塚跡

放虎原殉教地 アクセス

 名称 放虎原殉教地
 住所 長崎県大村市協和町1730
 TEL 
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