広島城本丸上段
広島城 の本丸は上段と下段という高低差があり、上段は、広島城の中核となる部分で、江戸時代には北西角に天守閣を構え、上段一帯には藩主の居館である「本丸御殿」が築かれていました。本丸御殿は、城主の居館であり、政務も行われていました。浅野家時代に、増改築や建替えが行われました。
本丸御殿は明治7年(1874年)に火災で焼失してしまい、その後、明治10年(1877年)に広島鎮台司令部の洋館が建てられ、それが後に広島大本営として使われました。
広島大本営跡
この場所は、江戸時代には「本丸御殿」があり、明治7年(1874年)に火災で焼失するまでの三世紀に渡って存在していました。
明治10年(1877年)には広島鎮台司令部として2階建て木造の洋館が建てられ、同21年(1888年)から第五師団司令部として使用されました。
明治27年(1894年)に日清戦争が勃発すると、同年9月に広島市に大本営が移されることとなり、第五師団司令部として使われていた建物が、明治天皇の行在所とされ、「大本営」が設けられ、明治天皇は約7か月滞在されました。
その後も建物は大本営跡として保存されていましたが、原爆投下により倒壊し、現在は基礎のみが残されています。
広島大本営跡
明治27年(1894)8月に日清両国に戦端が開かれたのち、それまでに山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所(あんざいしょ)とされ、ここに大本営が設けられた。
明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までの7か月あまりに及んだ。その後、建物は広島大本営跡として保存されたが、原爆により倒壊し、今は基礎石のみ残されている。
昭憲皇太后御在所跡
広島城本丸上段の区画内で、広島大本営跡が中心部にあるとすれば、この「昭憲皇太后御在所跡」は西南に位置します。
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)は、明治天皇の皇后です。明治天皇は、日清戦争の際に戦争指揮の為、明治27年(1894年)9月15日から翌年の4月27日までの7か月間、広島大本営に滞在されました。昭憲皇太后は明治28年(1895年)3月19日に広島入りし、4月26日までこの場所に滞在されました。
建物は昭和20年(1945年)8月6日の原爆で倒壊、基礎部分のみ残っています。
最終訪問日:2024.06.13.
広島大本営跡 アクセス
名称 | 広島大本営跡 |
住所 | 広島県広島市中区基町21(広島城内) |
TEL | |
URL | https://www.rijo-castle.jp/ |
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