有馬川殉教地(有馬川の殉教巡礼地)
かつて有馬のセミナリヨがあった場所に近く、現在の南島原市役所北有馬支所の近くの川沿いにあります。北有馬支所の横を流れる小川と、有馬川との合流地点辺りに、白い十字架が建てられています。
キリシタン大名であった有馬晴信の時代、この地はキリスト教の教育機関であるセミナリヨが作られるなど、布教の拠点となり、大勢のキリスト教信者がいました。
しかし、江戸幕府は慶長17年(1612年)に天領(江戸幕府直轄地)に、翌年には全国に禁教令を発布しました。
有馬晴信の嫡男・直純は、徳川家康の側近として仕えるなど懇意であったため、禁教令に従い改宗し、キリシタンを迫害しました。
慶長18年(1613年)10月7日に、この中州で8人のキリシタンが柱に縛り付けられて火あぶりの刑になりました。当時はこの辺りまで入江であったそうです。殉教者はアドリアノ高橋とその妻、レオ林田とその妻・娘・息子、レオ武富と息子という3家族です。
有馬直純は家臣たちに棄教を命じましたが、それに従わなかった重臣の3人とその家族で、見せしめに処刑されました。
見せしめのはずの処刑は、2万人の人々が見守り、かえって人々の信仰を強くさせました。それは翌年の禁教令発令の誘因のひとつとなったと言われています。
2008年11月24には、日本で初めて行われた列福式にて、ペトロ岐部と187殉教者が福者に列せられました。その中に有馬川で殉教したこの8名も含まれています。
白い十字架の前には、1本の銀杏が植えられています。
北有馬町では2000年から銀杏の生育に力を入れており、翡翠(ひすい)色の銀杏をローマ教皇にも献上したようで、その様子が紹介されています。
振り返ると、南島原市役所北有馬支所と北有馬ピロティー文化センター日野江が見えます。ここを巡礼する際にトイレを利用する場合は、この文化センターを利用できるようで、案内板が立っていました。
その後ろに見える見える山には、かつて有馬氏の居城であった日野江城がありました。
最終訪問日:2024.11.15.
有馬川殉教地(有馬川の殉教巡礼地) アクセス
名称 | 有馬川殉教地 |
住所 | 長崎県南島原市北有馬町 ※ 南島原市北有馬支所 (南島原市北有馬町戊2747)付近 |
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