⚠ 令和6年11月の落石により、通行止めの区間があり、通り抜けはできません ⚠

青の洞門
「青の洞門」は、大分県中津市本耶馬渓町の、山国川に面してそそり立つ「競秀峰」の裾にある洞門(隧道、トンネル)です。大分県指定史跡で、全長は約342m。
禅海和尚が「羅漢寺」を参詣した時、川沿いの鎖のみの断崖絶壁から人馬がしばしば命を落とすことを哀れんで、トンネルを作る事を思いつきました。
享保15年(1730年)頃、豊前国中津藩主の許可を得て掘削を始め、その後村民や九州諸藩の領主の援助を得て30年余りの歳月をかけて、宝暦13年(1763年)に洞門を完成させました。
「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」と言われており、禅海和尚が使用したというノミや槌は、羅漢寺にある「禅海堂」に展示されています。
開通後、通行人から通行料を徴収したと伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われています。
このトンネルが「青の洞門」と呼ばれるようになったのは、この洞門の逸話を元にして書かれた菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』によるものです。また、「青」はここの地名でもあり、元々そう呼ばれていたのかもしれません。
まず「耶馬渓橋」側から、青の洞門へ。駐車場は耶馬渓橋の袂にあります。山国側沿いに青の洞門へ向かうと、大きなイチョウの木があり、車一台通れる程の洞門がぽっかりと穴を開けています。この洞門は、車も通れる片側交互通行の道路で、入口に信号機が設置されています。
「青の洞門」と彫られた石碑付近から、車道とは別に、もうひとつ人道のトンネルがあります。そこが現在も残っている手掘りの洞門の一部です。
手掘りのトンネルに入ると、禅海和尚が最初に開けた明り取りの穴(窓)があり、その近くには禅海和尚の像と、お地蔵様が祀られています。
青の洞門は、明治39年(1906年)から翌年にかけて行われた大改修で、完成当初の原型はかなり失われてしまいました。しかし、この明り取りの窓など、一部に手掘り部分が残っています。
最終訪問日:2011.11.25.
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青の洞門 アクセス
| 名称 | 青の洞門 |
| 住所 | 大分県中津市本耶馬渓町曽木 |
| TEL | |
| URL |
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