旧長崎医科大学門柱
長崎大医学部キャンパス内(大学内部に入らなくてもアクセス可能)にあり、史跡「長崎原爆遺跡」に指定されています。長崎に投下された原子爆弾によって全壊した旧長崎医科大学の門柱です。
この門柱は、爆心地から約600mに位置します。1.2m四方、高さ1.8mありますが、左側の門柱は原爆の爆風で9cmも前にずれ、台座との間に最大16cmの隙間ができています。それを踏まえ、原爆の爆風の圧力測定にも使われました。
左側の門柱の近くには、献鶴台があり、折り鶴が捧げられています。その周囲にある沢山の瓶の中にも、折り鶴が入っていました。
右側の門柱は山陰に隠れて無事でした。現在ここに立っている門柱は、外門柱であり、その中に立っていた内門柱は、爆風で倒れたため、右側の門柱近くに寝かせた状態で保存されています。
戦前は鉄製の扉や電灯も付いていたのですが、戦時中の金属供出のために取り外されました。
長崎医科大学門柱(爆心地から東約600m)
かつて、この場所に長崎大学医学部の前身である、長崎医科大学の正門があった。
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、原子爆弾により長崎医科大学の建造物76棟のうち65棟が倒壊、発生した火災で全焼し、大学関係者と学生・生徒など合計898人が犠牲となった。(8月1日の空襲で犠牲になった3人を含む。「長崎大学医学部創立150周年記念誌」より)
この正門には1.2m四方、高さ1.8mの門柱が左右に設置されており、向かって右側の門柱は山陰となり影響はなかったものの、左側の門柱は爆風の影響により9cm前にずれ、台座との間に最大で9cmのすき間ができた。
戦後の調査で、門柱に傾きから原爆の爆風圧が推定されており、爆心地から500mの地点で1㎠あたり1kgという強力な圧力がかかったと考えられている。戦後、キャンパスの復興に伴いこの紋は通用門として利用されることになったが、門柱は現在も被爆当時の姿を残し、原爆の悲惨さを伝えている。
核兵器は、子どもや女性、高齢者など非戦闘員も区別なく殺傷する無差別大量破壊兵器である。長崎市は原爆で亡くなられた方々を追悼するとともに核兵器廃絶を訴える。
旧長崎医科大学正門より、キャンパスに沿って現在の正門の方へ進むと、途中に「旧通用門の門柱及び基礎」があります。これは、2024年に長崎大学の擁壁整備中に、石積み内から門柱と基礎部分が発見されたもので、長崎市の被爆建造物等に指定されたため、現在地に保存することとなりました。爆心地から約500mの距離です。
最終訪問日:2024.11.17.
旧長崎医科大学門柱 アクセス
名称 | 旧長崎医科大学門柱 |
住所 | 長崎県長崎市坂本1-12-4 |
TEL | |
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