呉海軍工廠の防空監視所跡(アレイからすこじま駐車場付近)
アレイからすこじまの東側にある串山には、旧呉海軍の遺構が点在しています。その中のひとつ「防空監視所跡」は、呉海軍工廠を守る上で重要な役割を持っていました。
呉鎮守府設置と同時に前身となる「造船部」が設置され、呉海軍工廠が1903年(明治36年)に設置されると、日本海軍艦艇建造の中心地となりました。戦艦「大和」の建造をはじめ、名だたる艦艇の建造を行いました。
アレイからすこじま周辺の海軍遺構
海軍技手(ぎて)養成所跡の碑
アレイからすこじまの東側の山沿いには、「ものづくりのまち呉」の礎とも言える「技手(ぎて)」と呼ばれる優秀な技術者を養成した施設がありました。呉海軍工廠技手養成所 は、工廠などの若手工員中より選抜して入学させ、3年間の専門教育を行ったのだそうです。
今は、アレイからすこじ駐車場の横に、「旧呉海軍工廠海軍技手養成所跡の碑」が建っています。「日本遺産 呉鎮守府」のプレートも建っており、その構成資産のひとつとされています。

呉海軍工廠「職工教習所・工員養成所」跡地記念碑
大正7年(1918年)に開校した 呉海軍工廠の職工教習所(後に工員養成所)の跡地 であり、終戦(昭和20年)までの27年間に約2万名の卒業生を送り出しました。
中国、四国地方の小学校高等科2年卒業生より、試験によって優秀者を採用し、中堅工員を養成したそうです。
卒業生は名実共に工廠を担う者となりました。
戦後も、その力は大いに発揮され、日本復興と発展に大きく寄与されたのだとか。
しかし、戦争により失われた命もありました。
防空壕
この防空壕は、呉海軍工廠「職工教習所・工員養成所」跡地記念碑から、山肌と駐車場のフェンスの間を進んで行くとあります。駐車場内からも見えます。
呉海軍工廠時代には、技手養成所や職工教習所があった場所ですので、防空壕も幾つかあったと思われます。またこの串山には地下工場があったとも言われています。
工廠神社(産業神社)とトーチカ跡
串山の東麓、アレイからすこじま駐車場手前の三叉路の付近に、「工廠神社」「産業神社」の石標があります。ここから石段を上ると、「工廠神社/産業神社」跡と、呉海軍工廠の防空監視哨と思われるトーチカ跡があります。
最終訪問日:2024.06.15.
近隣スポット
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