
口之津歴史民俗資料館分館
「口之津歴史民俗資料館」は、島原半島南端の港町である口之津の歴史について紹介する資料館です。本館は「口之津港ターミナルビル」に、分館は「旧長崎税関口之津支署庁舎」跡地にあります。今回は分館を訪問しました。
『口之津歴史民俗資料館分館』は、幾つかの建物から成ります。そのうちのひとつが明治32年(1899年)に建てられた「旧長崎税関口之津支署庁舎」で、昭和55年(1980年)に国に払い下げられ、それを改修し使用しています。
建物は全部で4棟(5棟かも)、「海の資料館」「歴史民俗資料館」「世論館」「歴史民俗資料館・別館」があり、それぞれテーマのある口之津の今昔を伝える資料展示がされています。
口之津港は、大型船が入港するに適度な深さがあり、風を防ぐ地形から天然の良港です。そのため、古くから船の潮待ち、風待ちの港として利用されました。口之津港には、長崎港よりも早い永禄10年(1567年)にポルトガル船が入港し、宣教師らによる布教・交易が行われた歴史があります。明治期には、三井三池炭鉱の石炭の海外輸出中継港として使われました。
明治期の三井三池炭鉱は、採掘した石炭を坑口近くの大牟田川河口から、有明海の出口に当たる口之津港まで、小型の木造船(団平船)で運び、口之津港に停泊した大型の船に積み替えて海外へ輸出していました。これは、三池沿岸地区が遠浅なのに加え、有明海の干満の差が激しく、石炭を海外へ運搬する大型船が入ってこれないためでした。
そのため、口之津港に税関業務を行う長崎税関本関所管取締所が、仲町の油屋本家(永野伸蔵宅)に設けられました。石炭の輸出量は増え続け、三池炭鉱が三井財閥による民営事業となった明治22年(1889年)年には、取締所は口之津出張所に改称されました。明治30年(1896年)には口之津税関支署に昇格しました。
明治32年(1899年)には輸出の急増により税関業務も繁忙になったので、口之津税関支署庁舎が現在地に新築されました。これが現在も姿を残す、「旧口之津税関支署庁舎」です。
口之津港で最高の石炭輸出量を誇ったのは、明治39年(1906年)で、月10万トンに達しました。
しかし、大牟田から口之津を中継した石炭運搬には莫大な費用がかかっており、また三池炭鉱での出炭量が年間100 万トンを超えるまでに達するなど、直接大型船に積み込むための築港が必要になってきました。そこで明治35年(1902)年に、三池港の築港が開始され、明治41年(1908年)に三池港が開港しました。開港と同時に、三池港に三池税関支署が新築設置されました。
口之津港は、三池港から直接石炭を輸出するようになったことで、次第に貿易が衰退していき、口之津税関支署はその職責を三池税関支署に継承し、やがて役目を終えることになりました。
島原半島に切り離せない殉教の歴史を物語る、マリア観音が展示されています。
戦争と平和のコーナーでは、当時の衣服、勲章、道具や、出征軍人の家族写真など、戦争と口之津に関する資料が展示されています。
小さな木造の建物は「与論館」です。口之津には、与論島をはじめ鹿児島の島々から、明治32年(1899年)に集団移住がなされました。石炭輸出量が増え不足した労働者を、南西諸島から募集したのです。特に与論島から1226名の移住者がありました。その人々の暮らしについて展示しています。集団でこの地に移住したため、長屋を建築して収容し、俗に「与論長屋」と呼びました。三池港築港以降、口之津港は衰退していったため、この移住者たちは三池に移住したり、移住前の島に帰ったりして、長屋はなくなりましたが、その一部を保存展示しています。
歴史民俗資料館には、からゆきさんを偲ぶコーナーがあり、動画の上映もされていました。「からゆきさん(唐行きさん)」とは、九州地方の言葉で、19世紀後半、主に東アジア・東南アジアに渡って働いた日本人労働者のことです。主に使われる意味は、幕末から明治・大正にかけて、娼婦として東南アジアに渡った女性たちのことを指し、農村や漁村の貧しい娘たちが多かったと言われています。
特に島原、天草地方の娘たちが多く、口之津港からの石炭船の船底に隠れて海を渡りました。売られたり、騙されたり、或いは出稼ぎ売春と分かって海を渡った少女もいたことでしょう。
☟ 関連記事はコチラ ☟
🔗 Blog〖旧長崎税関三池税関支署〗
🔗 Blog〖三池炭鉱・三池港〗
旧長崎税関口之津支署庁舎
明治11年(1878年)に開設した長崎税関口之津支庁が手狭となったため、明治32年(1899年)に現在地に新築された建物です。明治後期の大型木造洋館で、全国的に数少ない税関庁舎の遺構です。南島原市では、現存する唯一の明治洋風建築物で、長崎県の有形文化財に指定されています。
建物は長方形平面の平屋建てで、屋根は寄棟造りの桟瓦葺き、外壁は下見板張りで四隅と出入り口両脇の柱を露出します。内部には検査場・事務室・応接所などがありました。
なんばん大橋
「なんばん大橋」は、島原市の南端にある口之津港の入口付近に架かる赤い鋼アーチ橋で1991年に完成しました。「口之津歴史民俗資料館分館」へ行く近道となっています。なぜ “大橋” と名付けられたのか疑問に思うほどの小さな橋で、長さ117.5m、幅3mしかなく、車の離合はできません。
“なんばん” の由来は、永禄10年(1567年)にポルトガル船が入港したことに由来するのかな?
最終訪問日:2024.11.15.
口之津歴史民俗資料館分館 アクセス
名称 | 口之津歴史民俗資料館 分館 |
住所 | 長崎県南島原市口之津町甲16-7 |
TEL | 0957-73-6773 |
URL |
近隣スポット
PR | Information
LINK , TAG , Others…
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド》since 2023 ⇨ 本サイトトップページ
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド》since 2008 ⇨ 旧サイトトップページ
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド ~ブログ編~》 ⇨ ブログ記事
コメント