東山手甲十三番館(Western-style House at No.13A,Higashiyamate)
「東山手甲十三番館」は、「オランダ坂」の石標近く、2本のオランダ坂に挟まれるように建つブルーの洋館で、国登録有形文化財です。
明治27年(1894)頃に建てられた木造2階建て寄棟造りの住宅で、二本の煙突があり、どの部屋にもベランダが配されています。斜面を切り開いて建てられており、当時は長崎港を眺めることができました。
現在は、オランダ坂周辺の観光の休憩スペースとして、無料で見学が可能で、1階は「居留地カフェ」と雑貨などが販売されています。イベントスペースとしても利用できるようです。
明治27年(1894)頃に建てられ、最初は香港上海銀行長崎支店長のアンダーソン氏が居住し、明治31年(1898年)からはホーム・リンガー商会の職員が住み、昭和14年~31年(1944年~1956年)にフランス代理領事アンドレ・ブクリ氏が住んでいました。
この「東山手甲十三番館」の建物や、付近のオランダ坂は、映画やCM撮影にも使われた異国情緒あふれる町並みです。
最終訪問日:2026.02.19.
オランダ坂(オランダ坂の石標・東山手甲十三番館付近の広場)
「オランダ坂」の石標付近に、「日本の道100選」の石標、オランダ坂や東山手の案内パネルなどが設置された広場があります。また、東山手一帯は「長崎市東山手重要伝統的建造物群保存地区」に選定されており、その説明もあります。
この辺りのオランダ坂は、明治の初め頃にニールズ・ルンドバーグという貿易商が特別な火薬で開削したものです。
☆長崎の外国人居留地☆
外国人居留地は、欧米諸国との修好通商条約の締結によって制度化され、長崎には大浦や浪の平の海岸を埋め立てて造成されました。居留地は日本の治外法権の地区で、外国人の自治領域でした。
慶応2年(1866年)には外国人居留地の造成がほぼ完成しており、居留地は、大浦地区、下が松地区、東山手地区、南山手地区、梅香崎地区、出島地区、新地・広馬場地区に分けられました。
平地である大浦、下り松、出島には領事館・商社・ホテル・工場などが多く、東山手・南山手などの山手には教会や個人住宅が建てられました。特に東山手には学校が多くありました。
居留地の制度は、明治32年(1899年)の条約改定で撤廃されました。
東山手甲十三番館 アクセス
| 名称 | 東山手甲十三番館 |
| 住所 | 長崎県長崎市東山手町3-1 |
| TEL | |
| URL |


























コメント