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原爆の子の像(平和記念公園)

原爆の子の像 wide
❖ 原爆の子の像

像のモデルとなった佐々木禎子さんの同級生らの募金活動により、昭和33年(1958年)5月5日に建立されました。

2歳の時に被爆し12歳で死亡した佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかける為に建立されたものです。三脚のドーム型の台座の頂上に、金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、左右に少年少女の像がある、高さ9mの像です。

「原爆の子の像」と折り鶴ブース

佐々木禎子さんは2歳の時に爆心地から1.7kmの自宅で、黒い雨により被爆しました。小学校6年生までは元気に成長し、その年(1954年)の8月の検査では異常はなかったとされています。しかし、同年11月頃から異常が見られ始め、1955年2月には白血病と判明、余命は長くて1年と診断されました。
1955年8月に名古屋の高校生からお見舞いとして届いた折り鶴がきっかけで、禎子さんや他の入院患者も折り鶴を折り始めます。千羽鶴を折れば元気になると信じて降り続け、千羽以上の鶴を折りますが、同年10月に白血病で亡くなりました。

折り鶴ブース

碑文
「これはぼくらの叫びです
 これは私たちの祈りです
 世界に平和をきずくための」

ドーム型台座の中には、鐘と金の鶴が吊るされている
原爆の子の像 (1)
左手に「原爆の子の像」、右奥に「原爆ドーム
原爆の子の像 wide (2)

最終訪問日:2024.06.14.

❖ 広島平和記念資料館の佐々木禎子さん資料

広島平和記念資料館 には、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんについてのコーナーがあります。
禎子さんが病床で祈りを込めて折った折り鶴なども展示されています。

佐々木禎子さんが願いを込めて折った折り鶴
この小さな折り鶴は、指先が動きにくくなって針を使って折った折り鶴。右は病床記録
2024年訪問時、佐々木禎子さんを紹介したコーナー
2018年に訪問時に撮影したパネル

近隣スポット

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