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広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク

広島赤十字・原爆病院メモリアルパークwide

広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク

『広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク』 は、原子爆弾投下により多くの殉職者を出しながら、献身的に被爆者の救護にあたった職員や看護婦学生の赤十字精神を後世に伝えると共に、殉職者の慰霊と被爆体験の継承を通じて平和を希求する拠点として整備したものです。
メインは、被爆遺構である「爆風でゆがんだ鉄製の窓枠」と「窓ガラスの破片が突き刺さった跡が残る壁」で、他にも被爆直後の広島に医薬品を届けたマルセル・ジュノー医師のレリーフなど幾つかのモニュメントがあります。

前身の広島赤十字病院は、1939年(昭和14年)に陸軍の補助機関として開院しました。1945年(昭和20年)8月6日の原子爆弾投下時には、爆心地の南約1.5kmの現在地にあり、病院は甚大な被害を受けました。鉄筋コンクリートの病院の建物は、外郭だけを残し破壊され、また職員51名が犠牲になりました。それでも、広島市内の病院は殆どが壊滅状態だったため、負傷者が赤十字病院に殺到し、動ける医師や看護婦たちは、被爆者の救護に尽力しました。

旧本館は被爆後も活用され、原子爆弾の爆風によりねじ曲がった窓枠や、窓ガラスの破片が突き刺さった壁は、被爆当時の状態を示すものとして、戦後も保存されてきました。しかし1993年(平成5年)の病院改築に当たり、旧建物が取り壊されることになったため、建物をL字形に切り取って窓枠2面を保存、コンクリート製の台座に載せてモニュメントにしました。更に、2013年(平成25年)の病院の改修工事の際に、現在のメモリアルパークを整備。慰霊碑や被爆直後の広島に医薬品を届けたマルセル・ジュノー医師のレリーフなど七つのモニュメントも設置されました。

左奥の御影石の黒い十字は、日本赤十字社の原爆殉職職員・戦時事変戦没者の慰霊碑で、146名のお名前が刻まれている

広島赤十字・原爆病院 メモリアルパーク
このメモリアルパークは、昭和20(1945)年8月6日の原子爆弾投下により多くの殉教者を出しながら、献身的に被爆者の救護にあたった広島赤十字病院(当時)の医師、看護婦などの職員や看護婦学生の赤十字精神を後世に伝えると共に、殉職者の慰霊と被爆体験の継承を通じて平和を希求する拠点として整備したものです。
パーク内にある病院の被爆窓枠と壁、原爆殉職職員慰霊碑、原爆殉職職員並びに戦時事変戦没者合祀碑、赤十字国際委員会会長のメッセージ碑、ジュノー博士顕彰レリーフなどは、病院の新棟建設に伴って病院敷地内から移設しました。
平成25(2013)年7月

マルセル・ジュノー医師のレリーフ

1945年8月9日 赤十字国際委員会の中日主席代表として来日。広島の原爆被災の惨状を聞くや直ちに占領軍総司令部へ行きヒロシマ救護を強く要請。
9月8日調達した大量15屯の医薬品と共に廃墟の市街へ入り惨禍の実情を調査。自らも被爆市民の治療にあたる。
博士の尽力でもたらされた医薬品は市内書く救護所へ配布。数知れぬ被爆者を救う。博士の人道的行為に感謝し、国際赤十字のヒューマニズムを讃え永く記念してこれを建てる。

左:窓ガラスの破片が突き刺さった痕が残る壁、右:爆風でゆがんだ鉄製の窓枠
窓ガラスの破片が突き刺さった痕が残る壁

窓ガラスの破片が突き刺さった痕が残る壁
旧1号館階段室の窓ガラスは、原子爆弾のさく裂による強烈な爆風によって破砕し、飛散して1階から屋上までの壁に突き刺さり、無数の傷あとを残しました。
被爆の惨禍を後世に伝えていくため、ここに移設して保存しています。

被爆直後の広島赤十字病院
昭和20(1945)年8月6日の原子爆弾投下により、本館・中央病棟・北病棟の鉄筋コンクリート造の外郭だけは残りましたが、室内は窓ガラスなどの破片が吹き荒れ、無残に破壊されました。また、看護学校宿舎などの木造施設は全壊または全焼し、入院患者だけでなく病院関係者や看護婦学生にも多くの死傷者が出ました。
このような被害にもかかわらず、生き残った医師や薬剤師、看護婦等の職員と看護婦学生は不眠不休で、殺到する被爆者の救護にあたりました。
一面焼け野原と化した市内にあって、診療を続ける病院に掲げられた赤十字旗はひときわ輝かしく見え、さながら“廃墟の中のオアシス”のようだったとの言葉が残されています。
被爆した本館は平成5(1993)年まで診療に使用されていましたが、老朽化により解体されました。本館の「爆風でゆがんだ鉄製の窓枠」と中央病棟の「窓ガラスの破片が突き刺さった跡が残る壁」は、多くの市民の要望を背景にした広島市被爆建物等保存・継承事業の適用第1号の補助により保存されました。

左側面の窓枠が内側に湾曲し、右側の窓枠が外側に湾曲しているのが分かる

爆風でゆがんだ鉄製の窓枠
爆心地から約1.5キロメートル離れた旧本館の3階北端にあった鉄製の窓枠です。原子爆弾のさく裂による強烈な爆風が吹き抜けたため、爆心地側(北側)の窓枠は内側に、また西側の窓枠は外側にそれぞれ大きくわん曲しました。被爆の惨禍を後世に伝えていくため、ここに移設して保存しています。

被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会・碑
赤十字国際委員会々長・レオポルド・ボアシエの言葉
左:広島赤十字看護専門学校沿革碑、右:献身の人 天野美紀枝さんを偲んで碑

放射能に斃れし少年無傷なり ゲートルを巻くあどけなき顔日赤病院の玄関前の丸い花壇の上に、材木のように重ねて置かれた中学1、2年生の遺体がありました
名札には広島二中と書いてありました。
放射状に重ねられた中学生の遺体にはやけどはなく無傷のままに息絶えていました。
この中の何人の遺骨が母の胸に抱かれたのでしょう。当時市内では多くの児童生徒が建物疎開などに動員され、約6000人が被爆死しました。

最終訪問日:2024.06.14.

広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク アクセス

 名称 広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク 
 住所 広島県広島市中区千田町2丁目5-64  
 TEL  
 URL   https://www.hiroshima-med.jrc.or.jp/about/info-2/page-11-4/ 

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