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アレイからすこじま

アレイからすこじま

アレイからすこじま は、現役の潜水艦を間近で見られるスポットとして知られる護岸公園です。日本国内で潜水艦隊を有する基地は、呉基地(第1潜水隊群)と、横須賀基地(第2潜水隊群)の2ヶ所のみで、潜水艦を見られるのはこの2ヶ所のみという事になります。
「アレイからすこじま」という名前の由来は、は英語で「小路」を意味する「alley」、そして「からすこじま」は、昔呉浦にあった「烏小島」からきています。「烏小島」は当時周囲40m程の小島でしたが、大正時代に魚雷発射訓練場として用いるため埋立てられて消滅してしまいました。

アレイからすこじま
潜水艦救難艦「ちはや」と、潜水艦「おやしお型」

海上自衛隊の潜水艦と護衛艦が停泊するドックの横の遊歩道が、「アレイからすこじま」です。この場所は、かつて呉海軍工廠の岸壁だった場所です。呉湾に面した花崗岩の防波堤は、1895年に建てられました。
呉での海軍の歴史は、明治22年(1889年)に呉鎮守府が開庁したことに始まります。呉鎮守府開庁と同時に「造船部」が設置され、明治36年(1903年)には呉海軍工廠が置かれました。
呉海軍工廠は、戦艦「大和」をはじめ、多くの艦艇建造を手がけ、日本海軍艦艇建造の中心地となりました。

そのような歴史から、この場所を含め呉湾は軍用地であり、民間人の立ち入りが禁じられてきました。戦後も連合国軍占領下では英連邦進駐軍が使用していたため、民間人が立ち入ることはできませんでした。この場所に民間人が立ち入ることができるようになったのは1985年のことで、呉市が公園として整備しました。
現在「アレイからすこじま」には、約300mにおよぶ「旧呉海軍工廠本部前護岸」や、「魚雷積載用クレーン」が残されています。また、道路向いにあるレンガ造の倉庫群昭和町れんが倉庫群は、呉海軍工廠の前身である呉海軍造兵廠時代の明治期に建てられたものです。

海上自衛隊 潜水艦桟橋
この角度だけで6隻の潜水艦がいる

停泊中の潜水艦には『おやしお型』と『そうりゅう型』がありました。
『おやしお型』は、前が真っすぐで、後ろの舵が十字型。停泊している時は後ろの舵が真っすぐ立っているのが見えます。
『そうりゅう型』は、前が丸くなっていて、後ろの舵が✕型。停泊している時には後ろの舵が斜めに突き出して見えます。

おやしお型潜水艦。頭が真っすぐにカーブしており、全体的に角ばった印象。お尻が十字型
そうりゅう型潜水艦。頭が丸くカーブしていて、お尻(後ろの舵)が✕型

アレイからすこじまの護岸は、「旧呉海軍工廠本部護岸」 と呼ばれています。明治28年(1895年)に築かれた約300mにも及ぶ花崗岩の切石積護岸が、当時のままの状態で残されています。波の浸食に耐えられるよう巧みに加工された石階段や、切石に繋ぎ止め金具が打たれた平らな桟橋など、当時の高い土木技術も一見の価値があります。
奥に見えるクレーンは、「旧魚雷積載用クレーン」。明治34(1901)年に設置された英国製の15トンクレーンです。戦火を免れ、終戦後も稼働していました。戦後は勿論、魚雷なんて積載せず、援助物資の荷揚げなどを行っていました。

呉湾に面した花崗岩の防波堤は、1895年に建てられた
旧呉海軍工廠本部護岸と魚雷積載用クレーン

魚雷積載用クレーン
明治34(1901)年に設置された英国製の15トンクレーン。クレーンは30馬力、吊り上げ能力は最大15トンで呉に存在するクレーンでは最古のものになります。
海軍工廠時代には魚雷や弾丸の積込みにも使用されていましたが、戦後は食量など援助物資の荷揚げにも使用され、昭和40年代までは稼働し活躍していました。
現在この場所は「アレイからすこじま公園」と整備され、道路を挟んで建ち並ぶかつての旧海軍工廠水雷部及び電気部の建物「昭和町れんが倉庫群」とともに当時の呉海軍工廠の一端を見ることができます。

魚雷積載用クレーン
昭和町れんが倉庫群
左:艦番号5202:音響測定艦「はりま」
艦番号483:敷設艦「むろと」

アレイからすこじま
(旧呉海軍工廠本部前護岸及び関連施設)
「アレイからすこじま」という名称は、路地を意味する英語「アレイ」に、大正時代に海軍工廠拡張工事で消失した「烏小島」を足したものです。
戦前ここは呉海軍工廠本部前の護岸部で、山側に向かって多くのレンガ建造物が建ち並び、立派な石積みの岸壁からは大きなクレーンや軍艦が見えました。
具鎮守府開庁翌年の明治23(1890)年に、東京の海軍造兵廠に代わる呉の兵器製造所が計画され、日清戦争後に工事が本格化、後に呉海軍工廠造兵部へと発展しました。
日露戦争後も呉海軍工廠は拡大を続け、昭和初期までには背後の丘に工員教育施設(海軍技手養成所)も建てられました。
しかし、太平洋戦争末期(昭和20(1945)年6月)の空襲により、工廠本部地区は壊滅しました。
現在、道路の向かいに残る明治30年代に建てられたレンガ倉庫は、昭和20年の空襲で破壊された部分を取り去って昭和30(1955)年頃に整備されたものです。

アレイからすこじま
この公園は、「アレイからすこじま」と呼ばれています。公園名の由来は、明治初期の呉浦にあった周囲30m~40mの烏小島という島の名称と、英語で小道という意味のアレイからきたものです。
烏小島は、その昔、数本の老松がある岩島で、沖に舞うカモメたちの羽を休める絶好の場所でしたが、明治22年海軍工廠の建設が始まり、大正の始めに魚雷発射実験場として埋め立てて陸続きとなり、やがて工業地帯へと変身していきました。
国内で唯一、潜水艦を間近で見ることができる公園で、昭和60年度に現在のような姿に整備を行い、呉が旧海軍の本拠地だったことを偲ばせるエリアになっています。
なお、平成21年度に「旧呉鎮守府兵器部護岸及び関連施設」として、整然と積まれた花崗岩の護岸、巧みに加工された石階段、クレーン等、旧呉鎮守府兵器部の施設が保存され公園化されていることが評価され、土木学会選奨土木遺産に認定されました。

最終訪問日:2024.06.15.

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アレイからすこじま アクセス

 名称 アレイからすこじま 
 住所 広島県呉市昭和町8     
 TEL  
 URL    

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