秋月城跡
秋月氏は、建仁3年(1203年)に原田種雄(たねかつ)が秋月に移り、姓を秋月と改めたのが始まりです。古処山城を築き、秋月氏16代種実まで、約400年に渡ってこの地を治めました。秋月種実は豊臣秀吉によって日向財部に移封されました。
江戸時代になると、筑前国福岡藩主である黒田長政の三男・長興(ながおき)が元和9年(1623年)に秋月5万石の領主となり、秋月藩初代藩主となります。翌年の寛永元年(1624年)、長興が「秋月城」を築城し居城、城下町を形成しました。その後廃藩置県まで、黒田家秋月藩は12代、約250年間続きました。
現在一部が残っている「秋月城」は、黒田如水の異母弟である黒田直之が秋月領を拝領し、居館としたのがはじまりで、それを基に初代秋月藩主の長興が陣屋形式の小さな城を築城しました。城内は役所である「表御殿」と、藩主の生活の場である「奥御殿」の二つに分かれ、背後に山、前面に堀・石垣・櫓を設けていました。出入口は前面の二ヶ所のみで、瓦坂の上に大手門である「黒門」が表御殿の入口、現在も同じ場所に残された「長屋門」が奥御殿の入口でした。
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秋月城跡へ続く「杉の馬場」通りにある石垣でできた坂道です。秋月城跡を囲うお堀に架けられた坂道で、秋月城正門へ向かう登城口でした。土砂の流れを防ぐために瓦を縦に並べて敷き詰めてあるため、瓦坂と呼ばれています。坂を上ってお館の正門である大手門、黒門へ向かいました。現在黒門は少し離れた場所に移築されていますが、往時はこの奥にあったそうです。
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現在の秋月中学校正門の右手にある門が「長屋門」で、奥御殿へと至る門でした。嘉永3年(1850年)に建てられた門で、昭和期に解体修復工事を行いました。この長屋門は、秋月城跡の遺構の中で唯一、建てられた当初の位置に現存しています。
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秋月城跡 アクセス
名称 | 秋月城跡 |
住所 | 福岡県朝倉市 |
TEL | |
URL |
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