
旧海軍赤江飛行場の掩体壕
現在の宮崎空港(宮崎ブーゲンビリア空港)の前身は、日本帝国海軍赤江飛行場でした。
1943年に陸上攻撃機の練習航空隊・宮崎空として開隊した後、訓練基地や中継基地として、そして前線基地として使用されていきました。1945年に米軍の沖縄上陸が確実になってくると、特別攻撃隊及び雷撃隊の出撃基地となりました。
当時は「赤江飛行場」と呼ばれていたこの周辺には、70年余り経つ現在もなお、幾つかの遺構が点在しています。中でも大型の遺構として、7基の掩体壕と、4基の弾薬庫 が残っています。
7基の掩体壕は2ヶ所に分かれており、本郷地区の住宅街に4基の中型掩体壕 があり、宮崎空港の滑走路と一ツ葉有料道路間の田畑に、3基の小型掩体壕があります。
今回ご紹介するのは、宮崎空港滑走路脇にある、3基の小型掩体壕です。宮崎空港の航空機の離着陸のときや、一ツ葉有料道路を走っているときに、その姿を見ることができます。
しかし、この掩体壕に近づく道を見つけるのに苦労しました。「弾薬庫跡」の近くで滑走路の横である事は分かっていましたが、 車で探そうとしたのが失敗でした。
結局、「山内川緑地ラグビー場(空港グラウンド)」と山内川の間にある土手を歩いて行くと辿り着きました。付近に駐車場はありませんでした。
一ツ葉有料道路に最も近い位置にあるのが、通称「5号掩体壕」です。後ろから見ると、草木が生い茂っており、モコモコとした小山のように見えます。正面に回ろうと思いましたが、鉄作が張り巡らされていました。周囲は田畑で、近寄る事は出来ませんでした。掩体壕の横には、説明用の案内板が立っていますが、雑草が生い茂っていて、折角の説明写真などが見えない状態でした。 案内板には、「柵の外から自由に見学できます」と書かれていますが、雑草のせいで自由に見学できない・・・
【 掩体壕~小型機用~ 】
掩体壕とは戦争における敵からの爆撃や砲撃・銃撃などの破壊行動より、味方の装備(航空機・車両)や物資 及び人員等を守るために、それらを覆ったり・囲ったりする目的で作られた物です。
コンクリートや土嚢・土塀・ドラム缶に土を詰めたもの等で造られ、旧海軍宮崎基地(現宮崎空港)周辺にも、 大型機用・小型機用あわせて50数基のえんたいごうが造られました。
掩体壕は大きく分けて有蓋掩体(屋根があります)と、無蓋掩体(屋根がありません)の二種類があります。
有蓋掩体はコンクリート製のかまぼこ型で飛行機を完全に覆う強固な作りになっています。 無蓋掩体は土を盛り上げて作った土塀で飛行機を囲っただけで、コンクリート製の有蓋掩体と比べると 防御力の面で著しく劣るのですが、作る手間と資材・時間は大幅に削減されます。
宮崎基地の掩体壕の約7割は無蓋掩体でした。 宮崎基地は主に陸上攻撃機(中型の爆撃機)を運用する基地であったので、 小型機用の掩体は5基のみ、残りは全て大型機用の掩体でした。
戦後、土を盛っただけの無蓋掩体は早くに取り壊されましたが、コンクリート製の有蓋掩体は、 その堅固さから現在も6基(ここにある小型3基と本郷地区に残る大型3基)が ほぼ完全な状態で残っています。(他には1基が半壊状態です)。 これは全国的に見ても珍しい例で、早急かつ恒久的な保存が望まれます。 [ 現地案内板より転記 ]


3基の掩体壕のうち、一番滑走路に近いのが通称「7号掩体壕」。
田畑と空港の敷地を仕切るフェンス沿いの畦道を通って、掩体壕の近くまで、また前方から見える位置まで 行くことができますが、掩体壕の周囲に草木が生い茂っていて、全体の輪郭を見ることはできませんでした。この掩体壕は、国土交通省所有であり、土地の周りに鉄柵が設けられています。
見える範囲で確認する限り、かなりの破損がある様です。他の2基と違って凸型が見えませんが、壕の全面の左側が見えたので良く見ると、どうやら凸型の上部の方が破損して欠落しているのではないかな~と思いました。


最終訪問日:2018.09.19.
旧海軍赤江飛行場の掩体壕
| 名称 | 旧海軍赤江飛行場の掩体壕 |
| 住所 | 宮崎県宮崎市大字田吉 |
| TEL | |
| URL |
近隣スポット
PR | Information
2025年6月OPEN 宮崎県青島に佇む空港や主要観光地から程近い、閑静な別荘地に佇む贅沢な空間。誰にも邪魔されないプライベート空間で青にゆられる極上のリトリートタイムをとことんお愉しみください。
LINK , TAG , Others…
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド》since 2023 ⇨ 本サイトトップページ
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド》since 2008 ⇨ 旧サイトトップページ
🔗《福岡発!! 九州観光ガイド ~ブログ編~》 ⇨ ブログ記事



















コメント